2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

失われた春とモズアスコット13着

失ってからはじめて気づく自分の感情。なんて書き出したところで、俺は冴えないままで四十を迎えた完成形の欠陥品なので、どうやっても美しい話にはならない。ただこうして今年の春が消滅すると、思いのほか淋しいものだなと、そして悔しいものだなと、思う…

【突き破る】高松宮記念予想【2020】

◎モズアスコット ○タワーオブロンドン ▲ダイアトニック △グランアレグリア △ダノンスマッシュ △ノームコア 2011年3月の東日本大震災の後。 世の中は暗く放射能は恐ろしく、スポーツ紙にもスポーツが出てこない。 そんな時期に遠い遠い中東の空の下で、国際レ…

船橋グランドサウナandカプセルホテル(千葉県船橋市)

コロナウイルスのおかげで、まるで戦時下のように不要不急の外出は控えましょうという話になっている、令和2年3月24日。 船橋駅に近い天沼弁天池公園に咲く桜も、どことなく所在なさげだ。 きっと桜は何も考えていなくて、それは見る人の感覚でしかないのだ…

サウナで発注と受注

昨日の山梨からの帰り道。中央道は混んでいて、上野原からの下道も混みだしていて、ツイッターには「天気がいいから外に出るなんて日本人は警戒心が無さすぎる。日本人は甘い。パンデミックはまだまだこれからだ。思い知るためにも日本人はどんどんコロナウ…

プロ野球が開幕しなかった日のスパランドホテル内藤

さっきまでサウナに入りながらスポーツニュースを観ていた。 本来ならプロ野球が開幕するはずの今日だったが、ご存知の通りそれは叶わないご時世になっていて、結局練習試合という名の無観客試合が数試合開催されただけの一日だったらしい。 見ず知らずのご…

刺身というのは適量を食うからこそうまい

春だから気が狂う。 野球も競馬も観られないから気が狂う。 気が狂っているから、狂ったものを食う。 ひとつ言えることは、刺身というのは適量を食うからこそうまいものなのだ。 物事は少し不足感を覚えるくらいがちょうどいい。 そんなことは狂った俺でもわ…

杉並の第二宝湯までサウナに入りにいった

今日の俺はとにかく疲れてしまって、身体まで痛くなってしまって、這うようにして、杉並の第二宝湯までサウナに入りにいった。 なんだ結構元気じゃないか、と鼻で笑うような奴の顔面には唾を吐きかけてやりたいし、すっかり可動域が狭くなって四十肩寸前の身…

さよなら、稲城浴場

日記なのに昨日のことを書くのはおかしいかもしれないけれど、ここでは「俺がルールブックだ」(二出川延明)。 昨日は今月末で閉店する稲城浴場へ。 男湯は最後までコンフォートサウナ、女湯のロッキーサウナは謎のままで終わった。 稲城浴場は最後まで自分…

甲子園が失われる時代

第92回選抜高校野球(19日開幕、甲子園)の開催可否を決める臨時運営委員会が、11日に大阪市内で行われ、センバツ史上初の中止が決定した。新型コロナウイルスの感染拡大を懸念したもので、大会会長を務める毎日新聞社の丸山昌宏社長は「苦渋の決断」と話し…

さらば平塚、さらばグリーンサウナ

代休の午後は湘南の海へ。 写真を撮っていたら左足を波に飲まれてしまった。 「平塚漁港の食堂」なる店で遅めの昼食。 俺にしては相当に豪華なものを食べてしまったので、残りの今週はカップラーメンで昼を越さなければならない。 カップラーメンでも食える…

3月7日はサウナの日だった

どんな理不尽なことでも結果だけはついてまわる。 俺の3月7日は、気づいたら残り2時間になっていた。 それでも今日はせっかくのサウナの日、雨の中を境南浴場へ。 俺の前に受付の列が5人、全員が「サウナで」と言って1000円を差し出して、330円の釣り銭を受…

牛乳ハイ150円

昨日行った巣鴨のゆたか食堂で飲んだ牛乳ハイ、1杯150円。 中身は焼酎かウイスキーが自在で選べる。 学校給食の中止で牛乳の出荷予定が突然消えてしまった酪農家を応援するキャンペーンなんだとか。 飲んでみるとウイスキーのほうが苦味が出なくて飲みやすい…

コロナウイルスが滅ぼした文明社会

ビール、日本酒、牛乳ハイ。 俺は珍しく飲んだ。 酔っ払いが嫌いなので、自分がその嫌いなものになっている自覚が持てる程度の酔っ払いだったので、歩いた。 酔い覚ましと腹ごなしに、新宿から明大前まで歩いた。 甲州街道を歩けば1時間弱の道のりだ。 これ…

冨士の湯(神奈川県横浜市鶴見区)

新型コロナウイルスのおかげで不要不急の外出を控えろといわれても、南武線が空いてくる気配はしない。 まったくもって観光の匂いがしない路線だから仕方がない。 いつだって必要火急の利用者のために、南武線は走り続けているのだから。 降りたのは矢向駅。…

社会が終わりに向かっていく感覚と平等感と幸福感

社会が終わりに向かっていく感覚は震災以来で、あえて不謹慎な言い方をするが懐かしい。 皆んなが皆んなしんどそうで、俺もしんどいといえばしんどいのかもしれない。 それでもそんなに苦ではなくて、ひょっとしたら喜びに近い感情まで芽生えていて、俺はも…