コロナウイルスが滅ぼした文明社会

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ビール、日本酒、牛乳ハイ。

俺は珍しく飲んだ。

酔っ払いが嫌いなので、自分がその嫌いなものになっている自覚が持てる程度の酔っ払いだったので、歩いた。

酔い覚ましと腹ごなしに、新宿から明大前まで歩いた。

甲州街道を歩けば1時間弱の道のりだ。

これまでに何度か、何度も、歩いたことがあるのだから間違いない。

 

だが結局、俺は明大前には着かなかった。

笹塚のマルシンスパを過ぎたあたりで、どうしてか左手にあったマンションに引っ張られた。

誰に腕を掴まれたわけでもないのに、引っ張られた。

そしてオートロックの番号に「1137」を入力した。

いいサウナ、これはまるっきり酔っ払いの行動だ。

しかしインターホンの向こうから「はーい」と明るい女性の声が聞こえてきて、扉が開いた。

俺は酔っ払ってはいるが、それにしても酷すぎるのではないかと思った。

視覚が狂っていて、俺はマンションの一室に向かっているつもりだが、実際にはガールズバーに引きずり込まれるところなのではないか。

しかしもう幡ヶ谷は過ぎているのであった。

 

1137なのだから11階の37番目の部屋だろうと、とにかくエレベーターで上がってみると、実際に1137号室はあった。

さてどうしたものかと思ういとまもなく扉が開いて「おかえりなさい」と見たことのない女性が言う。

俺は酔っているのだ、これは京王線の中で寝ながら見ている夢なのだと思いながら、どうせ夢なら見られるところまで見てやろうと家に入った。

廊下にはクッション材のジョイントマットが敷かれていて、これは小さな子どもがいる家なのだと思った。

そして人は夢であっても身の丈に合ったものを見るものだと、昨日までの自分の生活感を振り返りながらそう思った。

 

「子どもたちはもう寝てるから」と、さっき初めて会ったはずの女性が言う。

子どもたち、と言うのだから子どもは複数人いるのだろう。

今度は「飲んできたんでしょう」と言う。

顔に出ているのかもしれないし、臭いがするのかもしれない。

初対面の女性にそんなことを察せられるのは恥ずかしく、申し訳ない気がした。

「お風呂、シャワーだけにしておいたほうがいいよ」とも言う。

それはそうなのだろうけど、なかなか覚めない夢もあるものだと思う。

試すように「着替えはある?」と訊くと「お風呂の前に出しておくから」と返ってくる。

 

ジャストサイズのパジャマを着てリビングに戻ると「あなただけずるい」と、その妻の設定らしき女性が言う。

缶ビールをグラスに注いで、俺のグラスにはウーロン茶が注がれて、小さく乾杯をする。

ゆったりとした、魂が落ち着いた気分になる。

すっかり打ち解けて「俺もビールがいい」と言うと、妻は「これノンアルコールだけどいいの?」と訊き返してくる。

つい「あれ、酒飲まないんだっけ?」と言うと「飲んじゃ駄目に決まってるでしょう」と柔らかく笑う。

そしてお腹をさすりながら「明日は検診なんだけど、一緒に来てくれる?」と言うので、俺は「もちろん」と答えた。

 

窓の外にはキャロットタワーと世田谷の夜景、テレビでは「コロナウイルスが滅ぼした文明社会」のドキュメンタリーが始まった。