社会が終わりに向かっていく感覚と平等感と幸福感

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社会が終わりに向かっていく感覚は震災以来で、あえて不謹慎な言い方をするが懐かしい。

皆んなが皆んなしんどそうで、俺もしんどいといえばしんどいのかもしれない。

それでもそんなに苦ではなくて、ひょっとしたら喜びに近い感情まで芽生えていて、俺はもうどうかしている。

 

あの頃はまだまだ紙媒体の時代で、だからこそ偉そうに踏ん反り返っていた地図の出版社の面接で「こんな時代に生まれてきた君が悪いんだよ」と言い放たれてから、氷河期世代の一員としてやってきたわけですよ。

足蹴にされて、笑われて、時にはいないもの扱いされて、都合のいい時だけ頭数にカウントされて。

世間様の、半値八掛けの幸でも手に入ったら相当に上等だと思いながら、それでも自害するのが面倒くさいからここまで生きてきてしまったわけで。

それが最近は周りが、世代の違う連中も、なんだか俺と同じ顔をしている。

 

社会が俺に寄ってきたのか、俺がようやく社会に追いついたのか。

それはもう前者なんだけど、有事の時だけ平等感が手に入って、それが幸福感にまで昇華する。

自粛自粛の掛け声の中にいるはずなのに、なんでもない時代に生まれてきた人間たちはいつもこんなに伸び伸びと生きていたのか、とすら思う。

思うのは俺の勝手だろ。

 

ただ、まあ、それでも俺は新型コロナウイルスが嫌いだ。

そしてそれより以前から昭文社が嫌いだ。

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一昨日行った新宿のAKスパ。

いつの日かサウナの確実な効用が明らかになることがあれば、俺はもう行かなくなる思う。