甲子園が失われる時代

第92回選抜高校野球(19日開幕、甲子園)の開催可否を決める臨時運営委員会が、11日に大阪市内で行われ、センバツ史上初の中止が決定した。新型コロナウイルスの感染拡大を懸念したもので、大会会長を務める毎日新聞社の丸山昌宏社長は「苦渋の決断」と話した。  

 日本高野連の八田英二会長は4日「中止することは簡単、甲子園でプレーしたいという球児の夢のために」と思いを口にした。主催者側は、この1週間、代表校の関西への滞在期間を短くする、移動のバスの手配、宿舎を1人部屋にするなど、あらゆる感染防止策を考えてきた。だが、ウイルスという見えない敵の前に、無念の「中止」を決定した。

明日になれば訳知り顔のコメンテーターたちが、

高校野球だけが特別じゃない」

「こういう時だから仕方がない」

「夏に向けて気持ちを切り替えて」

なんて、綺麗事を言うのだろう。

特定の誰かが何かを言い返してくるわけでもないから、余計に綺麗事が言いやすい状況には間違いない。

コロナウイルス対応でさんざん結果論の政府批判を垂れ流した後に、高校球児に同情する姿を見せることで、人の形をした生き物として見せかけのバランスを取りにいくのではないか。

そうやって甲子園の中止はネタにされ、消費されていく。

 

今は違う、と言われるかもしれないが、俺は自分の生きた時代しか知らないから許してくれ。

少なくとも当時、高校野球は確実に特別なものだった。

見知らぬおっさんから「ヘタクソ!」と野次られ、名門校の監督から「お前らなんか全員辞めちまえ!」と茨城弁で怒鳴られる。

実際には身体も精神も痛い思いをすることが多かった。

それでも俺は野球を続けたし、大会の前には学校内の期待が集まって、入学式以来見たことがなかった校長が球場に向かうマイクロバスの見送りに来た。

市営球場での試合が、あの甲子園まで繋がっているのだから(大概あっという間に立ち往生するのだけれど)夢のある話だ。

公式戦で俺はホームランを打った。

柵越えのホームランを打ったのは3年間で2度か3度のことだったが、その1本が公式戦で出た。

結局試合は大差で負けた。

それでも第2試合に登場する前橋工業を目当てにしたお客さんがたくさん入っていたから、俺は結構な歓声をもらったし、その時のことはさすがに忘れない。

だから俺は野球を観ていて、大差で負けているチームから1本が出ても焼け石に水とは思わない。

 

春のセンバツが中止か。

悔しい、俺は悔しいよ、当事者でもないのに悔しいよ。

がっかりとか悲しいとか、そういう近いところにいる感情も今回ばかりは伴わない。

とにかく悔しい、悔しいだけだ。

本当に悔しいのは出場の決まっていた選手たちには違いない。

でもな、俺も相当に悔しいんだよ。

どうしてなのか、悔しくて悔しくてたまらないんだよ。

今でも俺には、高校野球は特別なんだ。