賽の河原に集まりし
水子、間引き子、め〇らの子
手足は石に擦れ爛れ
泣き泣き石を運ぶなり
指より出づる血の滴
身うちを朱に染めなして
父上恋し母恋し
呼んで苦しく叫ぶなり
生まれてきた子どもが、親より先に死ぬのは悲しいことだ。
そして今、自分が研究らしきことをしながら思うのは、さらに生まれてくることすらできなかった子どもたちのこと。
厚生労働省が29日発表した人口動態統計によると、2023年1~6月の出生数は前年同期比3.6%減の37万1052人(外国人を含む速報値)だった。2年連続の40万人割れで、00年以降で最少を更新した。出生数の先行指標となる婚姻数は足元で過去最低水準で反転は見込みにくい情勢だ。
(日本経済新聞)
ちょっとした駅前を歩くと、そこにはうっすらと向こう側が見える、ベビーカーを押す半透明の親子連れの姿が見える。
実際にはそうなれなかった親子のこと。
物事には旬の時期がある。
研究者としての自分があるならば、いちいち心を動かされることなく、統計の数字をただの記号として捌けてしまう冷徹な若さがあった時期こそが、本来の旬だったのだろう。
今は余計なことを思って、余計な苦しさを背負いこんでいる。
仕事も趣味もなにもかも枝葉のように思えて、あとは家族のために生きられるところまで生きればと、そう思っていた頃があった(世の中の知っていれば駆使できる福祉を考えれば、本当に「俺」が父として生きる必要があるなんて自信を持って言えやしないんだけど)。
でもねぇ、生まれてこられなかった命がひたすら増える情勢で、生まれてここまで生きてしまった以上、自分はもう少し役に立てないと駄目だとも思うようになってきた。
なにも大層なことができるわけじゃない。
それにおじさんの自分探しに誰かを付き合わせるつもりはない。
例えば俺が死んだら、畑の肥やしにしてくれればいい。
そういう感じのことですよ。
しかし俺を肥やしに育った野菜というのもまあ、気持ちが悪いか。
だったらどうしよう。
献体とは、医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究に役立たせるため、自分の遺体を無条件・無報酬で提供することをいいます。
「自分の死後、遺体を医学・歯学の教育と研究のために役立てたい」とこころざした人が、生前から献体したい大学またはこれに関連した団体に名前を登録しておき、亡くなられた時、遺族あるいは関係者がその遺志にしたがって遺体を大学に提供することによって、はじめて献体が実行されることになります。(公益財団法人:日本篤志検体協会)
浮かんできたのは献体のこと。
自分で希望することでそうなるものではあるけれど、なんだか最後まで利用される感じが、氷河期世代らしくていいじゃない。
そう、「らしさ」を忘れないのは大事なことだよ。
世が平和であっても、戦中であっても、それは内心のことなのだから。
人生はもう明確に後半戦、44歳になりました。
以上
【追伸】
例によって暗いことばかり書いてしまったけど(まあ全部事実なんだけど)、最近はまずまず元気に過ごしてます。特に先日というか今週、長崎を旅できたのは本当によかった。楽しかったというより、念願を果たせたのでほっとして、過去の自分に「約束守ったぞ」と威張ってやりたくなりました。自分へのご褒美とか、自分に報いるとか、そういうのはキャッチ優先であまり好きな考え方ではなかったけれど、でもやっぱり大事なんだなって。大器かどうかはさておくとして、自分が晩成なのは信じているので、きっとこれからは報われることが増えてくるはずです。これまでいろんなことを仕込んできたわけだから。不器用なので44年もかかっちゃったけどね。そんじゃまた。