目の前に、真っ直ぐにも真っ直ぐではないようにも見える、ぐにゃぐにゃと白線がクロスした交差点があった。
いかにも「うちの街にだって渋谷と同じ交差点があるんだぜ」と、北関東の高校生が自虐で自慢しそうな趣のスクランブル交差点で、横断歩道の向こうにあるのは雑居ビルというか、ちょっとした飲食のテナントビルというか、そんなサイズの建物だったけれど、ぼやけて見えて詳しくはわからなかった。
歩行者信号が青になって、アナログなデジタル音の『通りゃんせ』が流れ始めた。
が、渡る人も渡ってくる人もいない。
そもそも人影がない。
特にどこに行くでもない俺はその場で足踏みしていると、「パパ、パパ」と子どもの声が聞こえてきた。
聞き覚えはないから、自分の子どもの声ではない。
だんだん『通りゃんせ』の音の流れが速くなって、それに合わせて子どもの「パパ、パパ」の声にも間隔がなくなってきた。
『通りゃんせ』はだいぶ長く流れて、最後はそれまで聞いたことがないくらいアップテンポになったがようやく止まり、同時に「パパ、パパ」の声も聞こえなくなった。
すると自分の着ていた白のTシャツに、赤黒くてドロッとした血がかなり広い面積で付着しているのに気づいた。
白のスニーカーにはある意味対照的な、鮮血といえる明るい赤が跳ねていた。
俺は相変わらず足踏みを続けながら、「こんな白い格好をしてきた自分が悪い」と思っていた。
他人の夢の話なんか聞かされたってつまらないのはわかりきっているはずなのに、自分の夢の話をしたがる気持ちはよくわかる。
誰かに聞かせないと、自分の中でも処理できないんだよ。
人に向かって喋りながら「あれは夢だった」と認識するのだと思う。
だから人に喋る前は、どんな夢でも現実の可能性がある。
ゼミ室の中には何人もいたけれど、みんなの顔は見えなくて、ひとりの女の子の声だけが聞こえてきた。
俺を慰めてくれるような話で、かつてはよく聞いていた、心当たりのある声だった。
その声を聞いたら落ち着いた。
落ち着かない夢というのがあるのかどうかはわからないけれど、俺は落ち着いた。
そしてこの人と結婚すればいいのかと思った。
意味ありげな夢を見た時は、いつも声だけで顔が見えないのが俺のパターンらしい。
もどかしいね。
以上