8月31日のトマト

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トマトが嫌いなことはアイデンティティだった。

ピザのトマトなら食べられる、ミートソースなら食べられる。

トマト嫌いによくいるパターンには間違いないけど、どんどん老いていく自分にとってよりどころにしたくなる、「子どもじみた」部分であったと言える。

しかしそれが、急速に怪しくなってきた。

ケースの中のトマトが艶々していたから、美味しそうだと思ってしまった。

ずっとトマトは嫌いで生きてきたくせに。

物事は結局「艶」なのかなぁ。

(府中白糸台日記「今日のサウナは中洲のグリーンランドだった」より)

なんとまあトマトを美味しそうだと思ってしまっている。

ただここではまだ、「ケースの中に入っていると美味しそうに見える」という川崎ビッグの理論で納得することができた。

実際に注文まではしなかったしさ。

 

で、その3日後にトマトを食べた。

東京へ帰る前の、長崎駅に近い喫茶店「ボエーム」で食べた。

サラダにのっていた、スライスといってもいい一片だったけど、食べた。

普通に美味かった。

薄っすらと覚えている、かつて口に含んだ時の「ぐちゃぐちゃして苦い」の感想とはなんだったのだろう。

味覚の変調すら疑ったが、コロナは味がしなくなるやつだしなあ。

熱中症や糖尿病で味覚が変わる場合もあるらしいけど、長崎に来てから過剰なくらい水分は摂っているし(もちろん背景のビールは対象外)、6月に受けた健康診断の結果でも糖尿病は指摘されていない。

「トマトが美味しくなった」という理由で病院に行くのも考えがたいし、むしろ健康を手に入れたのだろうか?

とにかくこうして俺は、乏しいアイデンティティの中からまたひとつ、「トマトが嫌い」を失ってしまうような気がしている。

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旅から日常に戻る今日は、冷やし中華のトマトを試してみようと思っている。

 

以上