立派な煙突が見えるのだから、そこに銭湯があるのはわかっていた。
わかっていたのにようやくやってきた。
鶴見駅東口から徒歩10分弱、鶴見川を渡った向こうにあった潮田湯。
読み方は「うしおだゆ」。
眺めるだけ眺めて、潮田湯には入らなかった。
だってサウナがないんだもん。
今はサウナと水風呂、あとはせいぜいぬる湯が好み。
もうちょっとだけ歳をとって、サウナに息苦しさを感じるようになって、肌感覚が弱ってきて、そこまで生きていられたら、あつ湯の銭湯巡りを始めようと思っている。
自分の心をオーバースローで放り投げようとしたけれど、駅前を歩く黄色い帽子をかぶった子どもたちを見ていたら、もともと自分は社会の捨て駒ではないかと思い直した。
「戻ったらどうするんですか?」
「しばらく休むよ」
「休めるんですか?」
「ずっと休むよ」
「そんなことできるんですか?」
「それしかできないようにする」
疫学や衛生の話が、いつのまにか権力の話にすり替わってしまった。
ずっと「感性」なんて言葉は信じてこなかったけれど、縁のなかった街で、しばらく過ごすと感覚が変わってきたところはある。
人生が3つ欲しかったな。
3つの街で育ちたかった。
この夏は、子どもたちになにもしてやれてない。
毎日なにかをしているくせに、結局なんにもやれていない。
安い魂には間違いないけれど、それにしても安売りしすぎた。
その結果がこのザマ。
「尊敬する人」なんていない。
いつもそうやって答えてきたけれど本当は一人だけいた。
悔しいことに、もうこの世にいない人だけれど。
次の雨の日は墓参りに行く。