「コロナは戦争だ」というフレーズを耳にしたことがある。
今よりは遥かに感染者数が少なかった頃だ。
確かに自由は失うし、いくばくかの命も消える。
それでも空襲を受けるわけではないし、略奪をされるわけでもない。
うちに『せかいいち うつくしい ぼくの村』という絵本がある。
アフガニスタンの小さな村での生活が、少年の目線で描かれていて、最後のページに突然「このとしのふゆ、村はせんそうではかいされ、いまはもうありません」と書かれていてプッツリと切れる。
鶴見の街は破壊されてはいないけれど、「緊急事態宣言のため8月31日まで休業します」と貼り紙がされていて、9月に入っても人の気配がしない店がたくさんある。
俺は7月の中旬からこの街で働いているけれど、ここでアルコールを口にしたこと(できたこと)は一度もない。
ここの人たちは今どこでなにをしているのだろう。
嫉妬の顔で「飲食店は協力金がもらえるからウハウハなんだ」と口にする者もいるが、それが真実ならそれでいいとすら思う。
形を残したまま風化していくのを、見てしまう側にも苦しみはある。
目を瞑って歩くことはできないし。
昨日行ったサウナは、その鶴見にある平安湯。
ナトリウム源泉を証明するようにタイルが茶色く変色した水風呂、遠赤ストーブが唸りをあげるサウナ、牛乳瓶が斜めに刺さった背の低い自販機。
横浜にもこんな銭湯があるんだなと思った。
もっとも俺は、鶴見を横浜でももちろん川崎でもない、「鶴見」という名の独立区だと決めつけて認識しているのだけれど。