的場文男騎手の話

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「あはは(笑)。生まれつき健康なんですよね。親に感謝しているところなんですけど。まあ、秘訣という秘訣はないですが、やっぱり動いてるからじゃないですかね。動くのが好きなんです」

「若い時は大井しか乗らなかったんですけど、40歳過ぎてから他の南関の競馬場にも乗りに行くようになってね。月曜から金曜まで競馬に乗って、土日になると、競馬場の近くにクアハウスってあるんですけど、そこでウォーキングマシンとかエアロバイクに乗ってるんですよ」

「『日本一の勝ち鞍を取ってみようかな』って、そういう気持ちになっていったんですね。大井のリーディングは獲ってたけど、南関ではずっと2位でしたから。そのためには年間300勝を超えないとだめなんです。40代半ばで、全国リーディングを獲りましたよ」

「内田なんて、あんなになっちゃってねぇ。当時からうまかったもん。覚えが早かった。その内田に、大井のリーディングを獲られたんですよ。まぁ、弟子に抜かれたのなら、本望なんだ」

「あとは、馬が大暴れして蹴られて、脾臓と腎臓が真っ二つに。これは新聞にも出ましたよ。『的場文男重傷、集中治療室3日間』って」

「あの頃はそういうのが全くなくて、『この馬、俺が乗ってると楽だろうな』って、そんな乗り方が出来てました。“ふわ~”っと、雲みたいに乗ってましたもんね」

「一番いい頃は、レールの上をピューッと走るような、そんな乗り方が出来てましたもん。自分でも『何でこんな乗り方が出来るのかな』って。自分の思う通りに馬が動いたし、自分にしか出来ないという自負もあった。騎手として一番いい時代だったんでしょうね。あの頃はすごかった!」

「なんだかね、若い連中が慕ってくれるんですよ『マトちゃん』なんて言ってね(笑)」

「最初からトップに立てる人はいませんからね。広大な裾野の端っこからスタートして、ジワジワジワジワ上っていこうと。頂上を目指して、とにかくがむしゃらに頑張りましたよ」

「なかでも、ものすごく悔しかったケガが2つあって、ひとつ目はレースで落馬して馬に顎を蹴られた事故。上の歯が9本抜けて、顎は複雑骨折でグラグラだった。4コーナーでの出来事だったんだけど、フッと見たら、砂の上に自分の歯がいっぱい落ちていてね。朦朧としながらも、泣きながら拾いましたよ」

「富士山は遠くから見ると頂上の平坦部分が長いでしょ? あの距離が僕にとっての21年なのかもしれませんね。今はもう62歳ですから、河口湖のすぐそばまできてますけどね(笑)」

(いずれも下記記事から引用)

騎手という職業は若手でもベテランでも、どんな人でも死ぬ時は死ぬ。

しかし山ほどあったピンチも乗り越えてきたのは、この明るさと前向きさがあったからこそなんだろうと思わされてしまう。

勝ち気な人が長く元気に過ごしていくのは、ある種生命学の真理なのかもしれない。

しかしこれだけ勝って65歳で現役なのは、生命学の常識を越えているのではないか。

自身については「誕生日がくるのは嫌だね。65だもん。まだやってていいのかなと思うよ。でも、衰えてないんで頑張ります」と苦笑いだった。

(日刊スポーツ)

的場文男さん、65歳のお誕生日おめでとう。

62歳で河口湖のすぐそばだったなら、まだまだ現役を続けて、静岡まで突き抜けてほしい。