カウンターばかりの松壱家鶴見店で豪麺を食べていると、後ろの唯一の2人がけテーブル席から「総理大臣辞めたか」と聞こえてきた。
俺がiPadを開くと、いつもシンプルな共同通信の「菅首相が辞意」の見出しがあった。
この時点では今日辞めたのかと思った。
それでも昼休みが終わる前には、任期いっぱいは務めるのだと、説明付きで新たな記事が重なっていた。
人の質問に答えないし、そもそも人の話を聞いている素振りがない。
国語教育とはなにか、コミュニケーション能力は無力か。
会見でのやりとりは、いつだって子どもに見せたら悪影響が出そうなものばかりだった。
この人にこれからも総理大臣であり続けるのは勘弁してほしかった。
辞めてくれてよかった。
今は安堵感がある。
夕方の帰り道、ツイッターを開くと「実は菅総理にはこんな功績が」との書き込みがたくさん流れていた。
前任者が辞めた時もこんな感じだった。
功績に思えるかどうかは、その人がいるポジションからの見え方によるものでしかない。
「生活保護がある」と言われた時点で、俺からはこの総理大臣は認めようがなかった。
反面、自分が安全圏にいると確信していれば、生活保護受給者の大量発生がエンターテイメントになる者もいるのだろう。
うんざりする。
なにせ世の中の流れが悪いので、かといって元号を変えるわけにもいかないので、まずは総理大臣が交代するのは吉報に思える。
流れといっても後任によっては、喰いタンや風牌で上がった程度の変化しか生み出せない可能性も高い。
それでもこのまま終わるよりはマシだろう。
返せ、返せ。
俺の夏を返せ。