後楽園球場の対日本ハム戦は、9回に4点取って近鉄が逆転勝ち。
石渡が、永尾が、さらになんと代走屋の藤瀬までが、タイムリーを打って引っくり返した。
藤瀬は通算打点12で現役を終えたから、この日のタイムリーは価値ある1点だった。
4番のマニエルがホームラン30本でリーグトップなら、「和製ヘラクレス」栗橋も27本で頑張っている。
これは1979年9月3日の試合。
この日は月曜日で、プロ野球はこの1試合のみ。
そして俺が生まれたのがこの日の朝だった。
この年の近鉄は優勝したが、日本シリーズではあの「江夏の21球」で広島県民を喜ばせてしまった。
そしてそのまま日本一になれず、近鉄は2004年に消えてしまった。
佐々木、マニエル、アーノルドで組まれたクリーンナップは、今となっては神話の世界の光景のように思える。
そうか、俺は神話の時代から生きているのか(笑)
42年経った。
42歳になった。
途中で死んだ者もいたけれど、42年も生きていればそんなものなのだろう。
もっとたくさん野球が観たい。
しかし地球を止めることは叶わないから、これからも歳をとりながら観続けるしかない。