球場で声援を送った記憶のあるプロ野球選手が今では還暦を越え、単勝馬券を握りしめてレースを見守ったあの馬が老衰で死に、俺より後に生まれたサウナ屋が老朽化を理由に閉店する。
長生きしたなと思うし、生き過ぎてしまった感覚すらある。
最近は周りから「いろいろあって」の一言で、これまでの道程を一括りにする話を聞くことが増えた。
人は楽しかったことや嬉しかったことについては、具体的に語りたがる生き物であると思っている。
だからこそあらゆる説明を省略した「いろいろあって」は、マイナスの手続きに追われながら生きてきた人からしか出てこない言葉だと思っている。
今日の「いろいろあって」には何が含まれているのか、もちろんわかっていた。
助けてあげられなくて本当にごめんなさい。
それでも恨まれるのには慣れている。
以上