凹むというか、たいがい毎日そんな感じの精神性で生きているんだけど、その凹みが特大サイズの日もある。
そういう時の俺はどうも、ロスコでサウナに入ることになっているらしい。
特段の理由があってのことではなく、思考の癖のようなものだと思う。
友だちなんて、いちいち理由があってなるもんじゃないだろ?
20世紀の昔から働くのは嫌だし、世の中の役になんか立ちたくないし、努力してまで生きたくない。
その上今日は、もう家族と会話するエネルギーすら削られて消えた。
ロスコで癒されたのかどうか、それは明日になってみないとわからない。
もう目が覚めないかもしれないしさ。
朝なんていらない。
総理大臣が辞めれば、過去の不祥事が暴露される。
巨人が3連敗すれば、加藤哲郎が思い出される。
俺が凹めば、ロスコに来る。
スケールと背景の違いはあるけれど、日常はしっかりと韻を踏みながら積み重なっていくものらしい。
あと、自分のメンタルが弱ってる時は、同じように弱ってる他人に気づくんだよな。
鬱々としている時は鬱々としている他人に気づく。
しかし救いの手を伸ばすエネルギーがない。
「わかっているくせに助けられなかった」罪悪感もまた、積み重なっていく。