思い出す東京はロスコのサウナと食堂

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カプセルイン大塚に行こうとして、山手線に乗って、池袋に差しかかるあたりで、確か月曜は昼をまたいで清掃時間をとっているのを思い出して、そのまま駒込まで行って、最初からそこを目指していた顔に切り替えて、ロスコに入った。

こちらは先に午前の清掃を終えたばかりで、サウナ室はまだ汗の気配がなくて、カラッとした空気だった。
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そんな頃、朝起きてうんざりする職場に背を向け真っ先に向かっていたのがロスコだった。

他にもサウナ施設はあるのになぜロスコだったのか。

おそらくは長時間居ても安めの料金設定が決め手だったのではないかと思うが、当時の自分が考えていたことはよくわからない。

まあ色々なサウナを開拓する元気もなかったもんな。

(府中白糸台日記『カプセル&サウナ ロスコ』)

自分にとってロスコは居場所、というほどの頻度で訪れているわけではない。

死に場所、と言い切るほど切羽詰まっているわけでもない。

ただここで死んでしまってもいいか、ここで終わってもいいかと思える、魂が落ち着く場所がロスコだった。

そりゃ店の人にも迷惑がかかるし、実際にここでどうこうする気はないけどさ。

ロスコとはずっとそういう付き合いをしてきた。

だから最後に会いにきた。

(府中白糸台日記『4月6日はロスコに行った』)

凹むというか、たいがい毎日そんな感じの精神性で生きているんだけど、その凹みが特大サイズの日もある。

そういう時の俺はどうも、ロスコでサウナに入ることになっているらしい。

特段の理由があってのことではなく、思考の癖のようなものだと思う。

友だちなんて、いちいち理由があってなるもんじゃないだろ?

(府中白糸台日記『ロスコが積み重なっていく』)

水道橋のアスカ、高岡のアラピア。

突然閉店するサウナ屋たちに動揺した。

今朝、無理矢理に時間を作ってやってきた(実際は作り出せてはいないのだけれど。ただ寝る時間を削っただけで)のは、このどこか頼りないけれど、誰よりも信頼できる友だちに会いたくなったから。

苦しい時期を一緒に過ごしたら、もう一生の親友で間違いない。

ロスコ、お前は絶対に俺より長生きしろ。

(府中白糸台日記『ロスコは生きている』)

先行きと、当面の勉強場所の確保と。

ホッとした後に向かったロスコは、いつもより明るく感じた。

これまでは夜になって、うんざりしながら来ることばかりだったからなのかもしれない。

(府中白糸台日記『ルサンチマン・ロスコ』)

俺には「ロスコのサウナ、いいですよね」と【意外に】のニュアンスを含めて訊かれたら、「そうだね」ではなく「そうだよ」と表情を変えずに返すくらいの人間性の冷たさと、ロスコへの思い入れがある。

思い出がある。

腐れ縁だからこその付き合いの長さがある。

(府中白糸台日記『ロスコのMOKUタオル』)

おふろの国はいつも明るく振る舞って救ってくれる。

ロスコは言葉は発しないけど寄り添ってくれて、別れても角を曲がって姿が見えなくなるまで手を振ってくれる。

そんな存在感。

(府中白糸台日記『スナフキンのように頭が良くないので』)

いろいろ書いてきたなというのと、少しは上手くなったのだろうかというのと。

まあそれはいいのだけれど、今日は「のんびりコース」で11時から20時半までロスコで過ごした。

これだけ長い時間居座っていると、途中で人間の友だちがやってくることもあって、ビールとクエン酸ドリンクで乾杯した。

テレビに山本由伸が沢村賞を獲ったニュースが流れると、斜め向かいのテーブルで「ドラフト何位で入った投手なんだ?3位くらいか?」なんて話題になっていて、「4位だよ!」と教えたくなった。

 

もう朽ち果てるまで東京の人生だと思っているけれど、いつかどこかに飛ばされたり、引き戻されたりする日がきたら、思い出す俺の東京はロスコのサウナと食堂だと思う。