(以下の内容はフィクションです。写真も無関係です)
高所作業車という、はしご車の先のカゴがついたような車がある。
前職の時は、年末に大きなクリスマスツリーを飾る作業があって、そのカゴに乗ってツリーを天井からのワイヤーに括り付けたり、星やサンタを飾ったりしていた。
俺はその作業が嫌で、毎年の年末になるとうんざりしていた。
単純に高いところが怖いから、そして俺だけに高所作業をさせておいて下で世間話を楽しんでいる俺よりも給料の高い奴らに腹が立つからだった。
あのクリスマスツリーは、俺の呪いで輝いていたといっていい。
いつまで経っても後輩が採用されることもなく、「若いから」という理由で毎年俺だけがカゴに乗らされていた。ところがある年からまったく恐怖心がなくなった。
もううんざりすることが多すぎて「死んじまってもいいや」と本格的に思い始めた頃だと思う。
自分の命を放り出してみると、いろいろなことが怖くなくなった。
これは健全な精神の話ではないから、こういうことがあったということだけだ。
生きることが楽になったわけでもなく、もちろんここから新しい世界が開けたということもなく。
そんな心境で高所作業をしていた俺を、なぜか活き活きと仕事に取り組んでいると評した人がいた。
おかげでようやく後輩が入ってきても「あいつはあの作業が好きだから」という理由で、高所作業は俺が続けることになった。そういう風土が大嫌いで、結局俺はケンカ別れで転職をしたのだった。(「『府中白糸台日記』高所恐怖症を克服した日」より)
どれほど前の話なのかと思ったら、かなり前の話だと思ってくれればいい。
俺にはかつて、転職のはざまをサウナ屋で過ごしていた時期があった。
いつも過ごしていたのは同じサウナ屋だった。
当時はサウナイキタイもなく、自力でよその店を開拓する余力もなかった。
あの頃の光景を思い起こしてみれば、サウナ屋というのはエネルギーを失ってぐったりとしている人がたくさんいる場所だった気がする。
そんな人たちの大事な居場所だった気がする。
時が流れ、サウナがブームになり、これからひと商売しようとする人たちが「サウナはおじさんのものというイメージだったが……」と、過去のあり方の否定から書き出そうとするのも、今は理解できる。
若者を、女性を、できれば若い女性を。
そういう層を取り込んでいくためには、活気のない人間は邪魔だもんね。
別に家に居られないわけではなかったのだけれど、ほとんど毎日をサウナ屋で過ごしていた。
一人でいるとろくなことを考えない→ずっと家に閉じこもっているとさらに滅入る→適度に気が散る要素がほしい→外には出たいけどエネルギーはあまりない→だったらぐったりできるところに行ったらいいじゃない、の思考回路だったのだろう。
そうして通っているうちにいつの間にか、そのサウナ屋で朝メシも食うようになった。
お姉さんが朝メシを出してくれるようになった。
俺はよっぽど不景気な、ひもじそうな、腹をすかした顔をしていたに違いない。
いつもご飯とみそ汁、あとはおそらく前の晩の残り。
黄色いたくあんだけでご飯を食べたこともあれば、串焼きの盛り合わせを大皿で出してもらったこともあった。
いったい何と言って引き継いでくれたのだろう、いつものお姉さんがいない日は他のお姉さんが朝メシを出してくれた。
俺はその朝メシについて、一度もお金を払ったことがなかったのだから、まったくもってひどい男だった。
それでも自分を擁護するなら、その頃はそういうことが起こりえた時代の、本当の末期だったように思う。
「お世話になりました」と言葉だけでも伝えるべきだったのにそれすらせず、俺はある日から姿を消し、新しい日々をスタートした。
やっぱりひどい男だった。
(以下のみが実話です)
昨日は、ロスコのサウナに入って、ロスコの朝メシを食った。
ロスコは神戸サウナではないのだから、こうしてロスコの朝メシを堂々と出していけばいい。
ロスコはいつまで経ってもいい店だと思う。
以上