『月刊サウナ』の連載第3回

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しかしどんな季節でもそこには人がいるよ、サウナもあるよ、凍るような日でも水風呂は気持ちがいいよ。やっぱり表現がうまい人、そして自分が好きなものを素直に好きと言える人は、いつの間にかこちらを「〇〇したい」の気持ちにさせてくれるものなのだ。だから俺は岩手に行きたくなった。まったく、勝てるもんじゃなかった。岩手からやってきた怪物は2日後もまたロスコに泊まり、あのお姉さんから名前で呼んでもらって、たいそう喜んでいたらしい。

(府中白糸台日記「『月刊サウナで連載はじめます』」より)

3月は岩手に行った。ゆっこ盛岡の広報さんは美しかった。初めて会った人に外見から言及するのは失礼なことは知っているけれど、美しかったのだから仕方がない。だからこそ余計に、その傍らに『月刊サウナ』が積まれているのが気になってしまった。これは東北でも売り切れるようになんとかしなければならない。ひづめゆでは写真家兼アウフギーサーが頑張っていた。ここでは本人から「想像より美人だったでしょう?」と訊かれたので、「1.05倍でした」と答えた。案外と俺は実態に即した想像ができる男なのだ。競馬の予想を除いては。しかし想像力のある男にとっても、写真家とアウフギーサーは、成功のモデルケースを想像しにくい世界である。だからこそこちらからは、この人がこのままの人柄で生きていける過程を歩んでほしいと、それだけを思った。そしてそれぞれを紹介してくれたのは岩手の怪物だった。何度も何度も「おっさんのくせに」と悪態をつきながら、サウナ屋だけにとどまらず、行きつけのラーメン屋まで教えてくれるのだからありがたかった。お前はもっと素直に自分の良さを出せっつーの。もちろん怪物からの推薦だけあって、食べてみたら今後は盛岡に来るたびに蔵人家に寄らなければならないと思った。かつてはお客も働き手も男ばかりだったサウナの世界、そして家系ラーメンの世界。なのに、世の中はだいぶ変わってきた。俺は長いこと人の縁を軽視して生きてきた。それ自体は間違っていなかったと思う。これまでに会ってきた「縁」を強調する者たちは、他人を利用して自分の暮らしだけをよくしたがる者ばかりだったからだ。ところが、最近はそういう機会が減ってきた。そんな扱われ方にすっかり慣れ切ってしまったこと、自分の神経が摩耗してさらに鈍感になってしまったこと、そもそも43歳の男には利用価値がないのでそんな人たちすら寄ってこなくなってしまったこと。要因はいくつでも想像できるが、かつてのサウナ屋にたくさんいた、群れずに黙ってうつむいて何もしないのに怖かった、あのおじさんたちもこんな気持ちで生きていたのだろうか。成熟と老いは紙一重。俺も年月を経て、ようやくかつてイメージしていた「サウナの年代」にたどり着いたのかもしれない。美人と怪物も紙一重。今回の縁があって、岩手はすっかり美人の怪物で構成されているイメージになった。岩手の男は大谷翔平と佐々木朗希くらいしか知らないのだけれど。

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『月刊サウナ』の「サウナ室で逢おう」が図々しくも無事に連載3回目を迎えました。

届いたものから店頭に出ている気配があるので、お早めに。

以上。