『月刊サウナ』で連載はじめます

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岩手からやってくる人が、俺に会いたいのだという。普段から「一人がいい」「しゃべらない日は疲れない」「トマトが嫌い」「ピーマンも嫌い」とバリアを張って生きている俺に、わざわざ会いたいのだというのだから、事態は深刻だ。訊けば連載開始のお祝いをという話だった。ありがたいのだけど、正直、その人の正体は男なのか女なのかもわからない。こういう時はいったいどうしたらいいんだろう。ネットで知り合った人とは実際に会わないという一般常識を守っていけば、大過なく日々を送ることはできる。しかし俺にはその人の書いた文章を読んだことがあった。良いものは良い、楽しいものは楽しい、嬉しいものは嬉しい。そうはっきりと書ける人だった。せっかくだから会ってみたいと思った。それにきっと俺と会っても話が弾まないとわかれば、向こうから先に消えてくれるだろう。書いたものを読む限り、そんな気風の人なのだ。俺は本来文章には上手いも下手もなくて、その人柄が出るだけだと思っている。だからおそらくそんなに悪いことは起こらないのではないか。なにかの勧誘だったら駒込のロスコよりも大塚のルノアールに呼び出されるはずだ。そう思って一般的には並びが悪いとされている日付と曜日がそろった日に、ロスコへ行った。4階の食堂でその人と会った。ロスコ名物の、あのお姉さんもいた。結構な長い時間、座布団に乗っかっていたのに、俺は最初の「生、中ジョッキで」しかオーダーしなかった。なんにも言わなくても、あのお姉さんが「またチキンソテー定食のおろしぽん酢やろ」とせっかちに端末へ入力してくれたからだ。ああ、ここはロスコのお姉さんではなく岩手からの客人の話だった。とにかくサウナが好きな人だった。俺を訪ねてくるくらいだから当たり前ではあるのだが「ケンカが強い人たちの中でもさらに強い人」くらいの強度がある人だった。隣のテーブルから草加健康センターの話が聞こえてくると、俺たちは対抗するように高砂湯(高知)とながまち梅の湯(岩手)の話をしていた。本来、ここで対抗する必要などひとつもない。そんなのはわかっているけど、必要のないことをするのは楽しいのだから仕方がない。「ながまち」という名前で仙台にあるのかと思ったら、盛岡にあるのだという。盛岡はかつてのバスセンターだった頃以来行ったことがない。が、こうして話を聞いてしまえば、仙台より170キロ先まで足を運びたくなってしまう。この数日後「最強寒波」で盛岡には大雪が降ったが、ながまち梅の湯はいつものように営業しているようだった。当然だ。気候もながまち梅の湯も、地元の人たちにとっては生活そのものなのだから。東京からどこかへ向かう時は「季節のいい時期に」の発想になりがちだ。物価の上昇、「お前らのためだ」と言わんばかりの工夫のない増税、そもそも上がらない給料。どうせお金を使って行くなら快適な時期を狙うのは自然だろう。しかしどんな季節でもそこには人がいるよ、サウナもあるよ、凍るような日でも水風呂は気持ちがいいよ。やっぱり表現がうまい人、そして自分が好きなものを素直に好きと言える人は、いつの間にかこちらを「〇〇したい」の気持ちにさせてくれるものなのだ。だから俺は岩手に行きたくなった。まったく、勝てるもんじゃなかった。岩手からやってきた怪物は2日後もまたロスコに泊まり、あのお姉さんから名前で呼んでもらって、たいそう喜んでいたらしい。

 

『月刊サウナ』で連載はじめます。

以上