震度6強に見舞われた国見町。ブロック塀の一部が崩れた吉田清さん(64)は「立っていられないほどの強い揺れだった」と声を震わせた。
震度6弱だった大熊町大河原地区の災害公営住宅に住む田中秀男さん(84)は揺れが収まるのを布団の中で耐えた。「震災の時よりも揺れが大きく感じた」と振り返った。
(福島民報)
これまでの経験では、マンションの1階は実際よりも揺れないものなんだけれど、それでも揺れが長ければ並みの地震ではないことはわかる。
おとといの夜は大震災といえる地震がどこかで起こってしまった、そのくらいの体感があった。
正直いってその瞬間、揺れに揺れて壊れてしまえと思った。
なにもかも壊れてしまえばいいと思った。
酷い話だ。
瞬発力の感情にしても、俺は荒みすぎだと揺れながら思った。
万人が揺れている、平等の中に身を置くと安堵感が芽生える。
ようやく世の中の構成員になれた気持ちになる。
そうなんだよな、なんだかんだいってきっと俺は寂しいんだ、きっと仲間に入れてほしいんだ。
周囲のことに感情が及んだのは、揺れが収まってきた頃だった。
新型コロナの初期に、身分なんぞ関係なく誰彼に感染が広がっていく様子を見ている時も、こんな気持ちがあった。
そういえば、そのコロナ対策の現場で働いたのが、去年の夏だった。
予期していないことだったから、感情のしっぺ返しを現実で喰らったのかもしれない。
医療従事者たちは「自分たちは先にワクチンを打ったから」とわざわざ俺に向かってニヤニヤと笑い、夜のどこかに繰り出していった。
だから俺はブルーインパルスを無視した。
もうひとつ別なようで似た話。
専門性があることになっていて、しかし待遇が報われない職業の代表格。
世間的に持たれている健気なイメージを利用しつつ、実際には無責任な人間のオアシスとして機能している。
ある種の福祉。
書いたってなんの得もしない話。
ただの思いつきで、得もしないのに書き残してしまうのは、俺には想像力も年収も足りないからだ。
いちいち「興味はないけど」と前置きしてからぶつくさ言ってくる奴は、興味はあるけど実力のない奴で間違いない。
以上