実際には手に入らなかった平和な時代

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まずまずの規模がある地方都市の駅の、「裏口」のロータリーに迎えの車が集まっていて、待ち人がやってくると早速乗り込んで、それぞれの家路に散っていく。

そんな夕方から夜の風景が好きだ。

写真は豊橋駅の西口で、新幹線が停まる駅に「まずまずの規模」は失礼かもしれないけれど、佇まいはまさにそれそのもの。

 

今日、駅を降りた以外に縁のない街なのに、この中に自分を迎えに来た車があるような気がする。

そこには自分の母親が乗っていて、乗り込むとまだ家に着いていないのに「おかえり」と声をかけてくる。

10分も走らずに、郊外によくあるベーシックな一戸建て(2階建て、駐車スペースは2台)に到着すると、ダイニングテーブルの上にはラップのかかった生姜焼きが置かれている。

両親はとっくに食べ終わっているらしく、母親は「洗濯するから先にユニフォーム出して」と言う。

父親はナイター中継を観ながらチビチビとグラスで茶色い液体を飲んでいて、俺も飲んでみたいと言うと、「甲子園に行けなくなるぞ」と笑っている。

そうこうしていると「また迎えにいかないと」と母親が言う。

今度は高校受験を控えた妹が通っている塾まで迎えに行くらしい。

帰ってくると賑やかになるから、俺は先に風呂に入っておくことにしよう。

それならばいつでも逃げられる。

 

振り返れば、母親の鬱病がキツい時期だった。

いつだって夢想してしまうのは、実際には手に入らなかった平和な時代。