谷津義男の話

森喜朗政権で農林水産大臣を務めた自民党谷津義男衆議院議員が3日、死去しました。 自民党関係者がテレビ東京の取材に明らかにしました。 谷津氏は群馬3区を地盤とし、当選7回を数えたベテランで、2009年の総選挙で落選後、政界を引退しました。

(テレ東BIZ)

群馬県館林市生まれ。群馬県立館林高等学校、法政大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、ダイハツ系自動車販売会社勤務、福井盛太・坂村吉正の秘書を経て、1975年に群馬県議会議員に初当選し、3期務める。1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し、当選。1990年の第39回衆議院議員総選挙では落選したが、1992年の補欠選挙で当選。小選挙区比例代表並立制導入に伴い、1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は群馬3区から立候補。

Wikipedia:谷津義男の項より)

館林の政治家といえば谷津義男だった。

国政選挙では全国屈指の低投票率、市長選は無投票がしょっちゅうだった館林。

それは政治への関心の薄さの表れであり、群馬の隅っこで忘れられた館林市民の意地であったともいえる。

 

学校の行事、特に運動会にはよく来て挨拶していたな(まあ入学式や始業式は他の学校ともかち合うからね)。

谷津義男の親族が同級生にいて、彼は「やつよしお」と呼ばれていた。

まったく関係のない者も、名字が谷津なら「やつよしお」があだ名だった。

「よしお」ではなくて「やつよしお」。

スタッカートな歯切れの良さとは無縁で、むしろ野暮ったい名前なのだが、どこかフルネームで発音したくなる愛らしさがあった。

俺が見たのはおそらく谷津義男が50代の頃、眉毛が立派でもうおじいちゃんの貫禄だった。

 

あれだけ名前が浸透していたのは、地元をマメに回って仕事をしていたからだ。

おそらくは横須賀における小泉進次郎もそのタイプなのだろう。

横須賀の学校に通う小泉君は「しんじろう」と呼ばれていたりするものなのだろうか。

もうそんな安易にあだ名で呼ぶような時代ではないか。

記事では谷津義男は今朝、館林の厚生病院で亡くなったと書かれている。

谷津義男は最後まで館林の政治家だった。