当たり前だった毎日を忘れた頃に焼かれる

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子どもの頃は、子どもはずっと子どものままで生きていくのだと思っていた。

親はずっと前から親だったに違いないと思っていた。

学校に通い続けるのは面倒だけれど、自分より早く家を出て遅く帰ってくる父親よりは、すなわち働くよりは、学校のほうがマシかとも思っていた。

子どものままであり続ける割には、年少組、年長組、1年生、2年生とどんどん突き上げられていくし、身長も伸びてしまうし、これからいったいどうなっていくのだろうとも思っていた。

自分が成長して、自分自身が大人になっていくことを、理解したのは小学3年生あたりだった。f:id:tsumetaimizuburo:20200927003317j:image

今日のサウナは上野のSHIZUKU。

湿度が高く、空気の重さを感じるサウナ室には、好みのど真ん中を射抜かれた気持ちになる。

2人組や3人組のお客もいたけれど、サウナ室と水風呂の出入りは単騎で行動してくれたのでここは感謝だ。

そういう様子を見ていると、あえて自由に会話ができるサウナがあってもいいのではと思えるけれど、それもひとまずコロナがどうにかなってからの話だろう。

とにかく今年はきつい年になってしまった。

この一年はどんな形で記憶に残るのだろうか、それとも残らないのだろうか。

俺は20代のことをほとんど覚えておらず、それは日々がきつく、あらゆることが今となっては無駄だったことに起因していると思われる。

同じことがまた起こるかもしれない。
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こうして時間ばかりが経って、歳ばかりとって、いろんなことができなくなって、当たり前だった毎日を忘れた頃に、焼かれて、消えて無くなるのだろう。

SHIZUKUを出た後に「うえのの森のパンやさん」で、クマさんとカメさんとパンダさんのパンを買って帰った。