谷底の駅、山の上の街。
長いこと群馬にいたくせに、なんにも知らないで暮らしていたもんだと。
上毛(群馬)を4分割してとらえた場合の呼び名が北毛地区。
まあそのまんま、群馬の北のほうなんです。
沼田駅から坂を登った山の上にある天空都市では、でっかい建物は真っ白い沼田市役所とルートインのホテルくらいなんだけど、それが無粋だなんてことはなくて、むしろ街の景色を引き締めてくれている。
近代になると、日本国内に鉄道が敷設されはじめ、鉄道網は全国に広がっていきます。市内を走った鉄道としては、利根軌道、上越線、根利森林鉄道が知られています。そのほか、計画のみで実現に至らなかった鉄道も多くありました。沼田駅開業から100年を迎えたことに合わせ、市内の鉄道の歴史を紹介する企画展を開催します。
(沼田市ホームページより)
鉄道が通るのであれば、街の中に駅を造れば便利になるのは当然だ(鉄道忌避伝説も多々あるが)。
沼田駅が谷底にあるのは、上越線が上州と越後を結ぶ鉄道であったから。
ただでさえ難工事の上越線が、新潟を目指すにあたってさらに山の上に迂回するルートは間違いなく非効率であって、かつ急勾配を克服するための動力の問題もあった。
川勝知事のいない世の中なら、物事はそんな感じで進んでいくのだ。
「ループで名高い清水トンネル」
(上毛かるたより)
今回この時期に足を運んだのは、沼田市歴史資料館で開催中の企画展「沼田の鉄道」が目当てでもあった。
調布で働いていた頃、ランチを食べにいく寿司屋のご主人が沼田出身だった。
それがわかったのは調理師免許証の本籍地欄に「群馬」の文字を見つけたからだ。
ちらし寿司を出してもらってから、お互いの思い出の群馬について話した。
しかし結局働いた街は全部嫌いになってしまうので、ご主人が今も元気なのかどうかはわからない。
旅に出ると気分がよくなる。
そんでもって「帰ったら頑張ろう」なんて思ってしまったりする。
それが罠になっていて、「じゃあ何を頑張ろうか」なんて考えだしてしまうといつものように死にたくなる。
正気になった瞬間に隙ができてしまうんだから、ずっと狂っているしかないらしい。
昔から世の中のいろんな景色が見たくて、こうして出かけてぷらぷら歩いていて、そんな俺の様子を見ながら親は「無駄な時間があるならバイトして学費を稼げ」と言った。
今は妻が、俺が物事に1円でも金をかけることをよしとしない。
こうやってピンチの心を凌ぎながら生きてきたつもりなんだけど、近しい人間ほど俺が生きようとする姿に苦々しい視線を向けてきた。
もう、勝手にやるから。
俺が死んだら、お前らのせいだ。
「GLOBAL」のGは「GUNMA」のG。
ここはNUMATAの沼田健康ランド。
6月23日にサウナ室を檜の板に貼り換えました!と嬉しそうな貼り紙がされていて、今となっては一体いつの6月23日なのかわからないけれど、記憶よりだいぶ殺風景さが薄れたサウナ室を見る限り、おそらく去年の6月23日であったのだろう。
温水プールはキリッと冷えていた。
水風呂はもっとキリッと冷えていた。
やっぱり館内は殺風景なんだけど、幼児用の遊具が置かれたコーナーを設ける温かさもあった。
もはや群馬に帰って再び暮らすこともない身としては、これ以上つべこべ評論なんぞできる場所ではない気がした。
以上