日本中が全部、佐世保になってしまったらいいのに。
それぞれの歴史からすれば必然で、長崎県民から見ればなんの不思議もないんだろうけど。
それでも長崎県内で、長崎市と佐世保市が両立しているのを長いこと不思議に思っていた。
理解できないというより、長崎県やるじゃんという感じで。
こんなに東京から遠いところで県内に個性の違う2都市が存在しているのは、俺たちの群馬県の前橋市と高崎市とはわけが違うと思うのだよ。
勿来(福島県)や屯田(北海道)ほどの異界感はないにしろ、佐世保の字面にも並行世界の日本語っぽさはある。
でも「させぼ」と言われたら、やっぱり漢字は「佐世保」をあてるかなぁ。
いきなり自分の話。
春からもうしんどかった。
それを言うならもっと前からしんどかったけど、とにかく今年の春がしんどかった。
夏まで持つなんて思ってもいなかった。
メンタルとフィジカルがほどよく壊れてしまったタイミングで、どこかで療養しようと思っていた。
候補地は盛岡と佐世保だった。
俺は壊れるのを楽しみにしていた。
そんな状態ってもう、最初からぶっ壊れてるとしか思えないよね。
一週間くらい滞在してさ、一日くらいは海だけ眺めて過ごしてさ、雨が降ったら喫茶店で暇を潰してさ。
暇を潰す、なんと魅力的な響き!
雨の日を嫌うな。
しかし晴れの日は素晴らしい。
Tシャツとタオルがビッタビタになるくらい汗が出る日でも。
わかりやすく壊れはしなかったけど、今の俺も大概だ。
でもここまできたら一息入れるよりも、死ぬまで突っ走ったほうがいい。
だってもう、どちらの手法を選んでも、残り時間に大差はないのだよ。
カトリック三浦町教会。
この建物は設計者が不明なんだって。
最高じゃん。
「なんかみんな見にきてるけど、あれ俺が設計したんだぜ」って、妻や子どもより孫にこそっと自慢したくなるやつ。
いかにも初めて佐世保に来たように振る舞っているけど、来たことはあった。
来てみて思い出した。
おそらく20年以上前だと思う。
あの時は早岐駅まで来て、スイッチバックをせずに大村線で進んでしまい、佐世保駅までは来なかったのだ。
当時は「その気になればまたすぐ来れるさ」くらいに思っていたのだろう。
結局、時間も金も乏しい大人に出来上がってしまって、あの頃よりも日本は広くなってしまった。
「あえて人と仲良くしない」「ひとりが好き」と言ってる人は、だいたい人格があれで、もともと人が寄ってこないタイプです。
1988年に第三セクターになってから、松浦鉄道は猛然と駅を作り始めた。
線路は延びていないのに、駅を山ほど増やした。
佐世保中央駅と中佐世保駅の間は、なんとまあ200mしか離れていない。
しかし今なお線路が生きているのだから、これは成功だった。
いつだって、生き残った者が一番偉い。
男前は嫌いだよ。
男前は俺の敵。
サウナサンの男前、足立さんとは浴室で、お互いに裸のままで会った。
最近はジムに通っているのだという。
それは先にもう、スタッフさんから聞いていた。
【サウナサン】
「あんたたちは、あまりにいろんなものを持ちすぎているのよ。思い出の中のものや、夢で見るものまでね」
名前は知っていて、少し頑張れば手が届きそうで。
いつかきっとと思っているうちに、コロナ禍に入ってぐちゃぐちゃになってしまった。
だいぶ時間はかかってしまったけれど、こうしてサウナサンのサウナに入れて、佐世保の街を歩き回ることができて、本当によかった。
死ぬ時にお土産として、たくさん抱えて持っていかされる「いつかきっと」を、こうしてひとつ減らすことができたのだから、今日の俺は幸せでした。
以上