ここは北海道だから、特急ライラックの車内でもジンギスカンが楽しめちゃうんだぜ。
仙台の牛タン弁当は紐を引っ張ると熱くなるタイプ、札幌駅で買ったジンギスカン弁当はお姉さんが買ったその場で「熱めのほうがいいですか?」と訊いてくれて、レンジにかけてくれるタイプ。
深川と名寄を結ぶから深名線。
ここでの快速にどれだけの意味があるのかどうかわからんが、ダイヤに設定されているのだから必要なんだろう。
途中下車も含めて全線を乗りとおしたけど、自分以外にはおそらく、幌加内高校の生徒とその母親であろう2人しか同乗者はいなかった。
全線で120キロ超。
途中で体調が悪くなったら…などと考えると、運転士もなかなかしんどい仕事には間違いない。
北海道では地名が足りずに、個人の家の名前が付いたバス停があるというのは都市伝説ではなくて、実際にこの路線には「日塔宅前」「北川宅前」のバス停がある。
深名線は豪雪地帯を行く線である。まだ雪はないが、樹々の根元は斜面をずり落ちる雪の圧力で押し曲げられ、釣り針が山肌をひっかけたような形になっていた。完全に雪に負けて倒れたようにひれ伏し、わずかに小枝の先だけを空へ向けているのも多かった。
時刻表では幌加内のバス停でダイヤが分割されているけれど、実際には10分間のトイレタイムをとった後に、同じバスが先を進んでいく。
トイレタイム中に、その幌加内のバス停の2階にある深名線の資料館を見学した。
この路線が廃止されたのは平成7年で、高校1年生の野球部員だった俺はさすがにここまで乗りには来られなかった。
新橋のライオンサウナの支配人は乗ったことがあるらしくて、それはうらやましい話だったな。
もともと人跡まれなこの土地の鉄道が、廃止されたとはいえ平成まで維持された理由は、道路事情だった。
道路が閉ざされて土地が閉ざされる。
そうならないために、鉄道が有効だった時代があった。
今ではトンネルを掘ってでも、こまめに除雪の手間をかけてでも、鉄道を動かすより道路を守ったほうがコストが安くなった。
そもそも、それ以上に人が少なくなってしまった。
すげぇ!
「知る人ぞ知る」くらいに思っていたのに、wikipediaには政和温泉で外気浴をしながらジンギスカンを食べられたことが載っていた。
wikipediaはもちろん、これだけでは正式なソースには使えないんだけど、どういう人がどういう思いで書いたのかまで想像すると、思考のヒントになることは結構ある。
500円で温泉、サウナ、キンキンの水風呂、広々した休憩スペース!
入ってみればまったく鄙びた雰囲気はなくて、特に食事処が賑わっていたのは、ほかに近くに飲食店がないからだと思う。
にしんは留萌産。
深名線を全うして、名寄駅に到着したら、晴れ間が見えていた。
名寄の街は稚内まで旅行した帰りに一度、途中下車して歩いたことがある。
あれはもう四半世紀近く前だったか、それともピッタリ四半世紀前だったか。
もっとも多い宗谷線では、名寄以北に集中しています。仮に、16駅全てがなくなると、宗谷線の名寄以北(宗谷北線)の駅は以下のようになります。
【宗谷北線で廃止が検討されていない駅】
名寄、知恵文、美深、音威子府、天塩中川、幌延、豊富、勇知、南稚内、稚内特急通過駅で残るのは、知恵文、勇知だけです。この状況で特急と普通を分けて運行する意味は小さそうでなので、仮に16駅が全て廃止となれば、知恵文、勇知にも特急を停車させて、宗谷線の名寄以北は特急のみの運行になりかねません。
(『旅行総合研究所 タビリス』より)
いちいち惜別の念にかられてしまう、とりわけベンチャー企業には全く不向きな脳の構造で生きているんだけど、それにしても1日の利用が3人以下の駅を維持しろとは言えない。
このレベルまでいくと、その3人のために協議や生活面でのバックアップが必要になるのかもしれないけれど。
山田デパートはきっと、四半世紀以上前からここで頑張っていたに違いない。
普段の生活環境が汚れているからなのか、精神が汚れているからなのか。
おそらくはなんらかのアレルギーで、普段は鼻がズルズルしがちな生活を送っているのに、北海道に来てからまったくその症状がなくなった。
せっかくだから北海道さんの厚意に甘えて、北の大地の空気を遠慮なく取り込んでやる。
名寄の駅前からは、路線バスの顔をした無料バスが走っています。
幸運にも乗車できたら、なにも考えずに終点まで乗ってください。
そういえばスキーも何年もやっていない。
これもまた、四半世紀はやっていない。
去年の秋にリニューアルしたという、なよろ温泉サンピラーのサウナ室。
なるほど明るくてピカピカだった。
せいわ温泉ルオントもそうだったけれど、ここまでくると住民のための貴重な憩いの場として、都会のサウナよりも綺麗で快適を意識して整備されているように思える。
行きのバスは名寄駅前からプイっと乗り込んだけど、帰りのバスは受付で申し出て無料の乗車券をもらった。
これは一緒のバスに乗ってきたお姉さんが「あそこで言って、券をもらいなさい」と教えてくれた。
温浴施設のホームページなのに、トップに「野山でヒグマに遭わないための基本ルール」が載っているのはさすがとしか表しようがない。
サウナ室のテレビで、前の日に行った札幌の奥の湯の北34条駅付近が映っていて、北海道は本当に広いもんだと、いまさら思った。
名寄でもだいぶ最果て感はある。
が、ここから北へ稚内まではまだ200キロ近くある。
さらに北へ、利尻、礼文、そしていつかはユジノサハリンスクへ行ってみたいと思っていたんだけれど。
今は実現できる日を、世を、待っている。
これまでいろんなジローを見てきたけれど、名寄の次郎は特急品だった。
そして地元の人は「なよろ」を「→→→」と平板読みするのをこの店で知った。
北海道に来たから海鮮を食べろ、などという決まりはないのだよ。
いざ旅に出てしまうとそんなものだ。
「なんのお構いもできなくて、ごめんなさいね」と言われ、「そんなことないです!美味しかったです!また来ます!」と43歳にしては元気よく答えてしまったものだから、俺はまた名寄の次郎に来なければならない。
北の街も、暮れていく。
周遊券の時代には間に合わなかったけれど、かつて「ぐるり北海道フリーきっぷ」を使って道内を回っていた経験は自分にもある。
どうしても最果てと呼ばれる土地を目指しがちだった。
これからはその中間にあった、若い頃には通り過ぎてきた、好ましい趣の街たちをすくい上げる旅がしたい。
もうとっくに人生、後半戦ですからね。
試合は成立して、あとはどうやって終わりに向かっていくかどうか。
名寄にまた来るのは、次郎のお姉さんとの約束だから。
北海道には「しべつ」と読む街が2つあって(たぶん細かな地名を含めるともっとある)、こちらは士別、もうひとつは空港のある標津。
説明の時は「サムライしべつ」と呼ぶらしい。
士別のホテル美し乃湯温泉には、和洋の客室に加えてカプセルルームが40室もあって、ここが最北のカプセルルームの可能性もある。
この日はカプセルへの宿泊と朝食付きで5000円。
浴室の清潔は、水風呂のオーバーフローによってしっかり保たれている浴室だった。
サウナ室の入口に「サウナ部屋」と書かれていて相撲部屋か!と思ったが、士別はボクシングの輪島功一が育った土地なんだな。
輪島の生まれ故郷の樺太が3歳の時(1946年)ソ連に占拠され、北海道に移住した。士別開拓作業に輪島の両親は苦労した。過酷な労働を強いられるも暮らしは楽にならず、幼少期は日々の食事にも困るばかりか冬になると自宅でも凍死の危険性に晒されながら夜を過ごしたという。
そんじゃまた、いつか続きを。