「そんな小さいうちから保育園になんか行かせて」と言ってきたやつは頭を下げにこい

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我が家は息子がふたり。この前、下の子が春から進む小学校の説明会があった。俺はよくぞここまでこられたものだと思った。保育園というのは働く親が、その間に子どもを預ける場所である。機能としてはそうであるけど、子どもたちにとっては保育士さんや友だちと会うための大事な場所でもある。俺が働かなくなれば、働けなくなれば、働く気を失えば、子どもたちは自分の意思とは無関係に保育園に通えなくなる。もしかして親たちよりも気心の知れた人たちと会えなくなる。俺はそうなったらかわいそうだと思っていた。上の子が入園し、下の子が卒園するまでの10年間。働き続ける自信なんてとてもなかったけれど、生き続けるのさえ難しいと思っていたけれど、なんとかなった。最終年の2月中旬まできたのだからこれはもう「なんとかなった」と決めつけてもいいだろう。ミホノブルボンのダービーで最後の直線、フジテレビの堺アナが「おそらく勝てるだろう、もう大丈夫だぞ、ブルボン!」と叫んだあたりと同じ心境だ。間違いなく堺アナはミホノブルボンからの馬券を買っていた。しかし2着の16番人気ライスシャワーまで流しの馬券は持っていたのだろうか。振り返るとよくぞライスシャワーは2着に残ったものだと思う。ラップタイムはわからない。けれど田原成貴マヤノペトリュースに並ばれた瞬間から、直線残り100m、的場均ライスシャワーはもう一度伸びたようにすら見えた。これがライスシャワーステイヤーとしての資質で、菊花賞へ向けての予告編で、今ではこんな馬は見なくなってしまった。ところでここは息子の話。我が家の親たちはどうも片付けるのが苦手なのと、いちいち感傷に浸って物が捨てられない質なのもあって、生まれた時からの子どもたちの物がたくさんあった。だがさすがに、最近になってどんどん処分している。家の中の雰囲気が、だんだんと小さな子どもがいない家に変化している。「まだふたりとも小学生じゃないか」と言われても、最近の子はわかりやすく子どもらしい物をあまり持たないのだ。上の子を見ても学校、習い事、動画、ゲーム。プラモは作らないし、ミニ四駆は走らせないし、野球盤も持っていない。府中からトイザらスは消えても、西松屋はある。看板を見るだけで、あの店でガサっと安い服や離乳食を買っていた日が懐かしくなる。子どもは育てたようには育たない。正直に言う。子どもを育てたことのない人から「しつければいい」と簡単に言われるとよくぞまあと思う。それでいて自分は自由に、自分の意思で出来上がってきたなどと平気で主張する。しつけたって、子どもはその通りになんか動いてくれやしないよ。うちの息子たちだっていつかスシローでやらかすかもしれない。しかしその時は一緒に責任を取るしかないと思う。子どもが育っていく様子を見るのは、そのくらいに楽しいことなのだ。そして10年前、共働きの我々へ手助けも経済的援助もしないくせに「そんな小さいうちから保育園になんか行かせて」の言葉を投げつけてきた連中は、ぼちぼちと頭を下げにこい。許さないけど。

 

以上