私は、この弘前の城下に三年いたのである。弘前高等学校の文科に三年いたのである。その頃、私は大いに義太夫に凝っていた。甚だ異様なものであった。学校からの帰りには、義太夫の女師匠の家に立寄って、さいしょは朝顔日記であったろうか、何が何やら、いまはことごとく忘れてしまったけれども、野崎村、壺坂、それから紙治など一とおり当初は覚えこんでいたのである。どうしてそんな、がらにもない奇怪な事をはじめたのか、私はその責任の全部を、弘前市に負わせようとは思わないが、しかし、その責任の一斑は弘前市に引受けていただきたいと思っている。
バスタ新宿を22時20分発、弘前駅に着いたのは翌朝8時20分。
夜は2時間ごとにサービスエリアで休憩だから、ろくに寝られやしない。
42歳の体には堪えるけれど、遊びに行くのだから気分は楽だった。
それに宿毛→沖の島のフェリーに乗ってから、あれよりしんどい交通機関はないだろうと、気持ちが大きくなっている。
今の俺なら八丈島→青ヶ島でも、ヘリよりフェリーを選んでしまうと思う。
だいぶ弘前の悪口を言ったが、これは弘前に対する憎悪ではなく、作者自身の反省である。私の先祖は代々、津軽藩の百姓であった。いわば純血種の津軽人である。だから少しも遠慮なく、このように津軽の悪口を言うのである。他国の人が、もし私のこのような悪口を聞いて、そうして津軽を安易に見くびったら、私はやっぱり不愉快に思うだろう。
線路はまっすぐ伸びているように見えても、右に見えたり左に見えたり、前に見えたり後ろに見えたり。
岩木山は不思議な山。
弘前市の決定的な美点、弘前城の独特の強さを描写する事はついにできなかった。重ねて言う。ここは津軽人の魂の拠りどころである。
入口で検温と住所の記入、広い広い弘前公園内をところどころ片側通行にするなど、今風のコロナ対策をしながら、それでもさくらまつりは無事に開催されていた。
場内整理のスタッフはみんな若くて、おどおどしていた。
たぶん弘前大学あたりからのバイトばっかりなんだろうな。
津軽の事を書いてみないか、と或る出版社の親しい編集者に前から言われていたし、私も生きているうちに、いちど、自分の生まれた地方の隅々まで見て置きたくて、或る年の春、乞食のような姿で東京を出発した。
弘前市は青森県で、青森市はもちろん青森県で、八戸市も青森県だ。
生まれた地方の隅々までといっても、青森県は相当ボリュームが大きい。
新幹線が開通しても、寝台特急あけぼのは残ってほしかったなあ。
アサヒサウナ。
宿泊するのはカプセルイン弘前だが、これは名義上のことで、実質は一体だ。
約2年の休業を経て、この春からのリニューアルオープンですよ!
一度来てみたかった青森のサウナ。
ずっとホームページには休業中だと書かれていた。
それでもホームページは残されているのだからと、一縷の望みにすがりついていた。
そうしたら、割と突然に再開のお知らせ。
はじめての銭湯に行く時は、煙突がないか空を見上げてみればいい。
アサヒサウナはどこかと思ったら、土手町の空にボウリングのピンを探せばいい。
受付もレストランのお姉さんも、スタッフさんはみんな津軽弁で、みんな手際がよかった。
ここまで来て、本当に2年間も休んでいたんだろうかとの疑念まで芽生えた。
コロナ禍の下、青森県民だけを対象にこっそりと営業していたのではないだろうか……。
さすがにそんなことはないか。
だってこの「リニューアルオープン!!」の誇らしさ!!
(この写真のみ株式会社朝日会館ホームページより)
かつてのアサヒサウナを知る友人たちは「あそこのカラカラサウナはいいよ」と口をそろえていた。
しかし実際に入ってみると、それなりに湿度を含んだ90℃台。
リニューアルで設定を変えてきたか、それとも時おりアウフグースが行われているらしいので(今回は残念ながら遭遇しなかった)その残り香だったのだろうか。
新しい木の匂いで気持ちがいい。
それでもどうしてか、サウナ室を出たすぐ脇にトイレがあって、水風呂にはいかにもな青いホースを突っ込んで給水している。
この野暮ったさがたまらない。
東京には東京のサウナを作ればいいし、青森には青森のサウナがあればいい。
朝の浴室からは、岩木山がきれいに見えた。
大人というのは侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らねばならぬ。なぜ、用心深くしなければならないのだろう。その答えは、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいたことが多すぎたからである。人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。
期待して弘前まで行って、アサヒサウナにはなんにも裏切られなかったよ。
【アサヒサウナ】
http://asahiweb.jp/asahisauna.html
【株式会社朝日会館】