今日40歳になりました。
もはやアラフォーではなく、40歳ど真ん中のホームランボールになりました。
ありがとうございました。
30歳になった10年前の今日は、大嫌いになって辞めた前の職場にまだ通っていて、通勤途中の信号を渡るところで「20代が終わったか」とため息をついたことを覚えている。
夜は誕生日とは全く関係のない飲み会だった。
あの頃日本の総理大臣は鳩山由紀夫でダービー馬はロジユニヴァース、消費税はまだ5%だったんだぜ!
40歳になった今日もまた出勤で、ただし通う先は10年前とは変わっていて、「大嫌いな職場」から「まあまあ嫌いな職場」くらいには進化したのだった。
昼前に保育園から電話が入り、俺は熱が出たという次男を迎えに行くために早退した。
小児科に連れて行き、狂気の受付と戦い、その後は録画してある山ほどの量のドラえもんを観ながら午後を過ごした。
3時を過ぎると小学生の長男が帰ってきて、3人でアイスを食べた。
まもなく仕事から妻が帰ってくる。
まだまだ「不惑」には至らない、と書いて締めるのが40歳誕生日エントリーの基本らしい。
が、俺はある意味そこに達したと勝手に思っている。
相変わらず欲しいものはたくさんあるが、浮かんでくるのはどれも人生を賭してまで手に入れようというものではなく、小物ばかりだ。
行きたい場所もあるが、世界の果てまで見たい欲求もなくなってしまった。
自分が特別な何かにはなれなかったことも素直に受け入れている。
欲求を失ったら生物は終わりだ。
こんなのは孔子が意図した不惑ではないにしろ、現状はこういうことだ。
内なる老衰はもう進行している。
あとは子供たちの成長をどこまで見られるか、くらいのものでそこから先なんて全く何もない。
国だって、俺が年金貰う前に消えてくれたら一丁上がり!だろう。
火の車の年金財政の前では小さすぎる存在ではあるけれど。
俺はきっと小泉進次郎の言う「将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人」の枠には入らない。
かつて滝川クリステルは「飛行機で子どもが泣いているとイラッとはしますけど……」と情報番組でコメントしていたけれど、奴らはきっと家族旅行でさっさとハワイにでも飛ぶだろう。
夕方の府中は雷で、ゴロゴロ音が響くたびに子どもたちは喜んでいる。