はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
・転職した
・その後の職場でなんとか生活をつないでいくための足掛かりをつかんだ
・そして大学院に進むことになった
他にもいろいろあるのだろうが、とりあえずこれらが、この10年間でわかりやすく変わったことといえる。
(家族に関しては歳も取るし、変わり続けていくものなので、ここで挙げなくても……と思った)。
外面的なことばかりで、もっと内面的なことを並べたほうが本来のブログらしい気がするけれど、とにかく10年間にこんなことがあった。
俺は20代、厳密にいうと24歳あたりから30歳過ぎまでの記憶があまり残っていない。
残っていないのには理由があるのだけれど、どうせ書いてもまるっと信じてはもらえないし、記事の趣旨と変わってくるのでここには記さない。
10年前の2011年は、東日本大震災があった年。
中山競馬場が使えず、東京競馬場で使われた「ヤエノムテキ以来」の皐月賞。
池添謙一のオルフェーヴルが抜け出し、安藤勝己のウインバリアシオンがただ1頭が追い込んだ雨のダービー。
原子力発電所が爆発した日本に、ドバイからシェイク・モハメド殿下が観戦に来てくれた。
ランフランコ・デットーリが、一日限りの短期免許で乗りに来てくれた(デボネアは佐藤哲三に乗ってほしかったけど)。
あれは嬉しいことだったな。
一緒に観戦した友人は、あれから結婚して、離婚して、もう一度結婚した。
あの31歳のダービー観戦あたりが、今の自分が持っている記憶の起点になっている。
転職したのは、前の職場にうんざりしたからに尽きる。
2歳の息子がいながら、キャリア志向の妻と案外恵まれた福祉の存在に気づいてしまった俺は、この世から降りようと思った。
すると「こんな道もある」と新たな食い扶持を紹介してくれる者が現れて、今の職に就くことになった。
今の職場になって、2年ほどで、壁に当たったことがあった。
人間関係、労働環境ではなく、仕事の中身そのものの話。
すると「こうすれば解決できる」と提案してくれる者が現れて、あっという間に解決し、外様なりには出世していく足掛かりを得ることができた。
大学院に進むことになったのは、「こうすれば進学できる。それにあなたは進学するべき」という者が現れたからだ。
普通、そんなに人のことなんて助けられる?
この3つの局面で手を差し伸べてくれた人たちはそれぞれが別人で、皆が「前にお世話になったから」なんてことを話していた。
失われた記憶の中で接点があった人たち。
あの頃の自分に「お世話をする」能力なんてあったのだろうか?
今の自分の気質から思うに、彼らが迷っている時に、背中を押すようなことを言ったのだと思う。
押されすぎて、突き落とされてしまって、俺を恨んでいる人もいるだろう。
ただ、それにしてもだ。
以前の俺はどんな奴だったのだろう。
彼らは俺に感謝して、今度は俺の人生の面倒を見てくれた。
昔の俺はどれだけいい奴だったの?
できれば会って話してみたい。
いい奴だった頃の自分は、今の自分にその面影を見つけてくれるだろうか。
ざっくりと30代だったこの10年は、20代の遺産で食いつないだ点では変わらなかった。