ロスコに行ったのは4月6日。
ほら、写真の左上に、ちょっとだけど桜の花が写ってるでしょ?
これは緊急事態宣言とやらが出される前日のこと。
新型コロナウイルスの影、というより実態がすぐそこまで迫っていた。
世の中が年単位でまずいことになるらしかった。
日本でも何千万人が感染して、何百万人が死ぬと言われていた。
自分が感染して死ぬことについては何も思わなかったが、家族が死んで自分だけが残されたらしんどいな、とは思っていた。
あと田舎の両親がそうなったらどうしようもないな、とも思っていた。
電車はガラガラだった。
車内は暗くないし、まだダイヤが間引かれていない分だけ東日本大震災の時よりはマシか、と感じていた。
すでに外出は非国民の雰囲気はあって、自粛警察はとっくに活動を始めていたと思われる。
明日死ぬと思ってはいなかったが、明日から自由に出歩けない世の中になるのだろうとは思っていた。
ある意味、人生最後の日。
俺にはずっと前から人生最後の日は競馬場で過ごすイメージがあった。
人生最後のレースは、中山ダート1200mがふさわしい。
しかしこの日は月曜日で、そもそも競馬は3月から無観客での開催になっていた。
最後の日の過ごし方すら選べない世の中には、4月6日の時点でなっていた。
自分にとってロスコは居場所、というほどの頻度で訪れているわけではない。
死に場所、と言い切るほど切羽詰まっているわけでもない。
ただここで死んでしまってもいいか、ここで終わってもいいかと思える、魂が落ち着く場所がロスコだった。
そりゃ店の人にも迷惑がかかるし、実際にここでどうこうする気はないけどさ。
ロスコとはずっとそういう付き合いをしてきた。
だから最後に会いにきた。
サウナは相変わらずカラカラで110℃に迫る勢い、水風呂の水量も豊かなままだった。
ただ店内にはほぼお客がいなかった。
俺と他に誰かいたか、いなかったか、そんな感じだった。
それでも受付では、おそらくは新人を前からのスタッフさんが指導していた。
追い込まれる側は追い込む側をコントロールできない。
こんな状況でも、今日に続く明日があると信じて生きていくしかないのだなと思った。
それは前向きな感情ではなく、諦めに近かった。
とにかく最後にロスコに会えてよかったなと思った。
こうして、死の病床で朦朧としながら振り返る後悔を、ひとつ減らすことができたのだった。
ロスコで汗を流した後は、巣鴨まで歩いた。
俺にとって今年の春の風景は、この日の駒込から巣鴨までのものが全てになった。
後は何もない春だった。
巣鴨のゆたか食堂で食べた昼の定食、たぶん600円。
ごちそうさまでした。
最後の日は、これでもう十分だった。