「人生最後の日もサウナへ」

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年寄りだから昔の話をする。

あれは2040年2月19日(日)のことだった。

俺は東京競馬場にいた。

2010年ごろの俺は、「人生最後の日は中山競馬場で」などと言っていた気がするが、当時からすでに脳は緩んでいたので定かではない。

おそらくは最終レース、最後方から逆転の追い込みが届くダート1200に人生の一発逆転ファイナルレースを見出して、そんなことを言っていたのだろう。

しかし一生とは高速馬場の東京芝2400であり、前の位置をとった馬たちがそのまま逃げ切るだけの60年間だった。

最後の日まで競馬ができるのは、病院で管につながれた終焉よりは幸せなのかもしれない。

ここまでくればもはや糖尿を気に病む必要もなく、久しぶりに福三のソフトクリームを食べた。

パドックの馬たちが老眼で滲む。

が、くっきりと見えた時代だって馬券が的中したわけでもないのだから、今さらどうってことはない。

メインレースの第74回共同通信杯のゴール前は、すっかりベテランジョッキーになった横山典弘(の息子)と、新進気鋭の的場文男(の曾孫)の叩き合いだった。

面長でデザインパーマをかけた的場文男(の曾孫)の勝利ジョッキーインタビューを見ながら、競馬とはずっと変わり続けるものだと思わせながら、しかし実際にはなにも変わらないものであったように思えた。

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やはり2010年ごろの俺は、「人生最後の日もサウナへ」などと言っていた気がする。

脳の構造うんぬん以前に、緩い人間だったのだろう。

とっくに多摩と呼ばれる地域から銭湯は消え、境南浴場の若女将は、ずっと若女将のままで記憶の中を生きている。

コロナ禍、光熱費の高騰、それに伴うインフレ、巻き込まれた戦争。

温浴施設が跡形もなく消滅する中、荒野と化した中野駅前を唯一生き残ったのがサウナノーベルだった。

かつてはボイラーが故障し、お湯が出ない状況でも営業を続け、一冬を越したエピソードがあるサウナノーベル。

物事は執念であり、俺はそれを失ってしまったから、50回目のワクチン接種を拒否して死ぬことにしたのだった。