0番線ホームには精霊が宿る。
競馬で損するくらいなら、とっとと旅に出てしまったほうがいい。
いわんや夏競馬をや。
特に小倉競馬なんて、もう合わせる気のない数字合わせにしか思えない。
それでも大井競馬にはかなわないけど。
そんなことを言いつつも、この日の俺が新潟にいたのは、宝塚記念のスルーセブンシーズさんのおかげだ。
イクイノックスを差して頭まできていたら、今ごろ「やっぱサウナは本場だよなぁ」なんて勝手なことを言いながら、サウナハットをかぶってフィンランドのサウナを楽しんでいたかもしれない。
帰ってきたら「日本のサウナは〇〇だが(↓)、フィンランドでは●●で(↑)…」と、よくあるサウナ構文のテンプレで、もっと駄文のブログを更新していたに違いない。
訊かれてもいないのに「サウナは自由だ!」なんて言っちゃったりして。
車以外で行ける気がしない温浴施設でも、行ってみると案外便利なバスが走っていたりするし、わかりやすい時刻表には出てこないコミュニティバスが走っていたりもする。
地方に来れば特に温浴施設の主な客層は高齢者で、彼ら彼女らは足がないと来られないもの。
高齢化社会の数少ないいいところかもしれない。
俺はもう疲れてしまって、自由な時間を自由に過ごせる想像力もないし、時間を無駄に消費してなんぼの胆力もない。
だから見たことのない景色を見るために出かけることにしている。
記憶に残る去年の夏は、辰野の「湯にいくセンター」。
飯田線の伊那新町駅に向かう田んぼばっかりの帰り道の、空から地面まで全部が真っ暗になっていく日暮れだった。
今年の夏の記憶はこの新潟の、リアルタイムで日焼けを実感しながら歩いた、やはり田んぼばっかりの道のりになると思われる。
スルーセブンシーズが追い込んできてくれたおかげで日焼けした。
スルーセブンシーズが突き抜けてくれなかったせいで日焼けした。
スルーセブンシーズのおかげで今年の夏の思い出ができた。
衝動的に「★★がしたい!」と思ってしまうことがあるじゃない?
ちょっと待てば面倒くさいと思い直して、衝動は衝動らしく消えていくんだけど、振り返れば今までどれだけ自分の衝動を殺してきたんだろうとも思う。
今の自分が立っているのがここなんだから、別に失ったって困る現実もなかったろうに。
もっと衝動に従ってあげればよかった。
衝動に従うことは、自分を大事にすることとイコールだった。
今年もやっぱり、メンタルヘルスチェックはEランクの評価で返ってきた。
5段階評価の、悪いほうから1番目だ。
自分に対して、意思を持った人間として接してくれる人はみんな好き。
サウナで人生なんか変わらないよ。
サウナも誰も助けてなんかくれやしないよ。
もし救われたと思ったら、それはあなたの人徳に向かって誰かが助けてくれたんだよ。
謙虚にサウナに絡めないで、堂々と自分の人間性を誇ったらいいよ。
「スノーピーク FIELD SUITE SPA HEADQUARTERS」のサウナ室は、中央にあるikiを囲むレイアウトで、ベンチの下にはボナのストーブまで入っている。
キンキンの水風呂も、奥にいくほどだんだんと深くなる。
下田郷を臨む外気浴も、脱衣所から浴室までの清潔感も申し分がなかった。
それでもどこか寂しいのは、本来は宿泊で利用する施設だからなんだろう。
これだけ凝った造りであっても、主役ではない。
笹岡中央のバス停から歩く俺を追い抜いていった、SUVに乗っていた家族連れ仲間連れの人たちが、楽しみを補完するために使うサウナなんだ。
俺はこれから燕三条の駅に戻って、ここよりも宿泊費が二桁安いホテルに泊まる。
さらに500円で明日の朝食まで付けている。
タバコだって酒だってそうだもの。
サウナだって、好まない人からうっすらと馬鹿にされながら好きに入り続けたらいいんだよ。
廃止になってレールが剥がされても、「駅跡」のバス停として生き続ける鉄道の話。
この日は土用の丑の日だった。
「鰻の蒲焼き、お出しできますよ」と言われたらお願いするしかない。
これが「ご飯も(もちろん新潟県産コシヒカリ)一緒にお出ししますね」に繋がるのだから最高だ。
新潟ではなんにも自分で考える必要がない。
お会計を見てみたら、鰻の蒲焼きは貼られている時価の半分で出してくれていた。
燕口と三条口があって、燕口を出たはずなのにすぐに地面が三条市になっていたりして、このあたりはなんとまあ入り組んでいることか。
これ、今の静岡県知事のメンタリティだったらとても燕三条駅はできなかったな。
上越新幹線は上毛高原で終点とか、わけのわからない事態になっていたかもしれない。
そこがやっぱり田中角栄の凄さなんだろうか。
以上