俺が社会に出たのは2002年春、就職氷河期の真っ只中でした。
なんとかして働き出してみると、学歴だの資格だのサークルで副代表だっただの、俺よりは遥かに、世間でいうところの優秀なやつが多かったのです。
しかし彼らの多くは心を折られて、老兵でもないのに静かに消えていきました。
社会に出て何年目だったか、まあ二十代の半ば頃と言っておけば間違いないでしょう。
「今年の誕生日は一人ぼっちなんです」と言ったら、お寿司の出前をとってお客さんたちとお祝いしてくれた、銭湯のおばちゃんのことは忘れません。
その銭湯はとっくに閉店して、駐車場になってしまって、おばちゃんは今はどこでなにをしているのでしょうか。
相当におばあちゃん寄りのおばちゃんだったので、もしかして……
さすがにね、順番でいけばおばちゃんより俺のほうが、先まで生きると思うのです。
だから俺が死んだら、すぐおばちゃんに会いにいきます。
ああ、死んだらすぐにサウナ玉泉に行こうなんて計画もありました。
お通夜の前には相模健康センターで身を清めてからなんてのもありました。
どうも俺は死んでからのほうが忙しいのではないかと。
今日はその、2002年の春に卒業した母校にやってきました。
仕事というか趣味というか、中途半端になっている俺の専攻について。
アドバイスとお説教をいただき、こちらからも少々のアドバイスと。
今でも学籍番号を覚えています。
当時の住所も、電話番号も。
この山間の小さな大学も、なんとかコロナ禍を乗り越えつつあるようです。
もともと山梨県は感染者が少ないですからね。
なんだドブ川じゃないかと言われそうですが、水は澄んでいるんですよ。
都留市というのは、だいたいどこにいても水が流れる音が聞こえてくる、そんな土地なんです。
富士山の雪解け水ですね。
かつて暮らしていた築10年のアパートは、築30年にスライドしてそのままそこにありました。
サイレンススズカが4コーナー手前で止まった天皇賞は、この部屋で友だちと観戦していたのでした。
あの時は隣の部屋からも「あっ」という声が聞こえてきました。
そういえば「最近の大学生に伝えたいことは?」なんて話をされたんです。
上から目線でビジネスとやらを語れる身分ではありませんので、「今は自分を大きく見せたがる人がたくさんいるので……」なんてことだけを答えました。
しかしこれは社会人というより最近の流行りそのものにも思えるので、すでに学生の中にもそんな態度をとっている者が増えている可能性はありますね。
ただもちろん、悪質さでは社会人が上回ると思われますが。
いわゆる吉田うどんというやつです。
初めて入った店でした。
かつての馴染みの店たちは、どこも鬼籍に入ってしまったので。
昼にうどんを食べて、泰安温泉で昼サウナに入って。
これは20年前の自分と同じ行動です。
かつてはこの後、昼寝しながら夜を待ち、田舎の街の繁華街に繰り出していたのでした。
インバウンドがどうこうというより、富士山周辺の観光が復活してくれないと、このあたりは厳しいと思われます。
サウナ愛好家各位。
どうか都留のサウナに寄ってあげてください。
とにかく水が良くて、知る限りぬるくてつまらないサウナ室は存在しません。
帰りたくないなと思いつつ、その先に大した現実は待っていないことも当然理解しつつ、それでも帰りました。
当てもなく消費できる時間は、贅沢そのもので間違いありません。