十條湯(東京都北区)

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十条駅で下車して、十条銀座を歩いて、十條湯まで歩く。

はじめて歩くアーケード街は、いつだってどこだって長い。
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巨人で投げていたのが條辺剛

速いストレートで高卒1年目の一軍デビュー、しかし肩を壊して今は埼玉でうどん屋を営んでいるという。

同じく巨人には四條稔なる左バッターもいて、いつのまにかブルーウェーブだった頃のオリックスにトレードされて、仰木監督の下で今度は巨人を相手に日本シリーズに出場していた。

どちらの選手もメディアによっては「条辺」「四条」と表記されることがあって、ここは確かに「十条」だが、あえて「十條」を冠した屋号がアーケードの下にいくつか見える。
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十條湯は味のデパート、しなのやの角を曲がったその先に。

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歩いてみると、十条には逸れてみたくなる路地がたくさんある。

けど、まずは十條湯へ行こう。

逸れたらきっと戻って来られない。

戻る価値があるほどの毎日は過ごしていないけれど、ここまで来たら十條湯には行ってみたい。
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再開しました!の「!」が嬉しい。

はじめて来たけど、ありがとうと伝えたくなる。
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金曜定休。

銭湯料金にサウナは追加料金200円でフェイスタオル付き。

脱衣所には清水みさとのポスターが額に入って3枚、浴室にはツイッターで見たことがある「サウナの入り方」のイラストがあって、ここは現代の銭湯に違いないと思う。

遠赤外線ストーブの上に鍋が置いてあって、これがどうも蒸発皿というもので、湿度を生み出す源になっているらしい。

サウナ室にテレビはなく、少々寂しげなギターのBGMが流れていたが、これをズバリ「〇〇ミュージック」と表せる知識がないのが悔しい。

ふわっとした体感の水風呂は等辺のない四角形で「天然地下水掛け流し中」の掲示にありがたく手を合わせる。

休憩用の白い椅子、脱衣所から上がる中2階のサウナ利用客用休憩スペース。
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どうしてここに来る人はみんなクリームソーダの画像をアップするんだろうと思っていたが、こういうことなのか。

受付にロッカーの鍵を返しながら「クリームソーダお願いします」とオーダーした。
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おそらくはまだここで働きだしたばかりのお姉さんなのだろうか。

マニュアルらしきものを見ながら、一生懸命つくってくれたクリームソーダ
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俺はさ、こうなったらオリンピックは勘弁してほしいけれど、パラリンピックはなんとか開催できないものかと思っているんだ。

差別区別の話ではなくて、理由はもちろんあるんだけど、もう少し時が流れたら書こうと思う。

 

【十條湯】

https://mobile.twitter.com/jujoyu_1010

三鷹駅前で菅直人が演説してた

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三鷹で銭湯に入った後、駅前で演説している菅直人を見た。

10年前の原子力発電所が爆発してしまった頃と、今と、世の中の閉塞感はどちらが強いだろうか。

まあ、どっちも酷いけど。

俺はだいぶ歳をとった菅直人を見て、政治にしがみついて生きるしかない政治家も、しんどい職業には違いないと思った。

「復興五輪」のテーマを放り出したのは許せないが、これに関しては菅直人のせいではない。

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今日のサウナは三鷹駅から徒歩10分、初めての春の湯。

ふわっとした熱さのサウナにこれが春の陽気かと思った。

汗を流し終えて受付で鍵を返した瞬間に、テレビではヤクルトの村上がホームランを打っていた。

ヤクルトはそのまま逃げ切って1-0、俺と同級生の大ベテラン石川が2勝目を挙げた試合だった。

これだけ投げられれば、おそらく来年も現役を続けてくれるだろう。

プロ野球選手が全員年下になる日はもうちょい先で。

オリックス・バファローズの勝率5割

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オリックスが巨人との3連戦を2勝1分けと勝ち越し、開幕6試合目の4月1日以来となる5割復帰を果たした(27勝27敗8分け)。初回1死満塁から杉本の2点適時二塁打で先制、さらにモヤの内野ゴロ間に3点を先取した。五回にはT-岡田の7号3ランで加点した。先発の山崎福は6回4安打無失点と好投し2勝目を挙げた。

(デイリースポーツ)

5月19日のオリックスも借金1だったんだ。

その日の先発は山本由伸で、これはもう勝てるだろうと思い「今日のビッグニュースはガッキーの結婚よりオリックスの勝率5割」なんてブログを書こうとしていたんだ、俺は。

それがロッテに6点取られて負けてしまい、以降借金を背負ったままここまできてしまった。

 

あらためて6月10日、借金完済。

 

たかが5割、されど5割。

だって去年のオリックスは勝率3割台の最下位だったんだぜ。

勝負事は勝ったり負けたり、しかしこれまでのオリックスは「負けたり勝ったり負けたり負けたり勝ったり負けたり負けたり」があまりに多かった。

勝率5割のオリックスには、なんだか自分が奨学金の返済を終えた時に似た達成感と解放感がある。

これからはどうにでもなる、これからはどこにでも行ける。

ようやくだけれど、自由になった。

 

願わくば俺は、オリックスの勝率5割にもっと酔いたかった。

ところが明日の夕方には早速、京セラドームで広島との試合がある。

しかし先発は山本由伸だ、日本のエース山本由伸だ。

忘れてしまった「貯金がある世界」を思い出させてほしい。

そして優勝してほしい、日本一になってほしい。

そのためにはまず、交流戦の優勝からお願いしたい。

曇りの日は唐沢キャンプ場へ

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今日のサウナは神奈川県清川村の唐沢キャンプ場、要するにテントサウナ。

苦手なことと嫌なことばかりの毎日を繰り返していると、得意だったはずのことまで見失ってしまう。

そんな失敗人生の敗戦処理を続けている俺にも、たまにはこんな日があってくれるのかと思う、そんな一日だった。

昨日までは強い雨の天気予報で諦めていたのに、今日になってみたらせいぜいパラパラ程度。

そもそも青空までは最初から求めていない。

サウナの神様はきっといるね。

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安田記念 理想と現実

◎サリオス 8着

○グランアレグリア 2着

▲ダノンプレミアム 7着

△インディチャンプ 4着

ケイデンスコール 10着

 

相変わらず、競馬の神様には見放されているらしい。

これまでに見守られた記憶もないのだけれど。

 

そんじゃまた、来週。

 

以上

谷津義男の話

森喜朗政権で農林水産大臣を務めた自民党谷津義男衆議院議員が3日、死去しました。 自民党関係者がテレビ東京の取材に明らかにしました。 谷津氏は群馬3区を地盤とし、当選7回を数えたベテランで、2009年の総選挙で落選後、政界を引退しました。

(テレ東BIZ)

群馬県館林市生まれ。群馬県立館林高等学校、法政大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、ダイハツ系自動車販売会社勤務、福井盛太・坂村吉正の秘書を経て、1975年に群馬県議会議員に初当選し、3期務める。1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し、当選。1990年の第39回衆議院議員総選挙では落選したが、1992年の補欠選挙で当選。小選挙区比例代表並立制導入に伴い、1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は群馬3区から立候補。

Wikipedia:谷津義男の項より)

館林の政治家といえば谷津義男だった。

国政選挙では全国屈指の低投票率、市長選は無投票がしょっちゅうだった館林。

それは政治への関心の薄さの表れであり、群馬の隅っこで忘れられた館林市民の意地であったともいえる。

 

学校の行事、特に運動会にはよく来て挨拶していたな(まあ入学式や始業式は他の学校ともかち合うからね)。

谷津義男の親族が同級生にいて、彼は「やつよしお」と呼ばれていた。

まったく関係のない者も、名字が谷津なら「やつよしお」があだ名だった。

「よしお」ではなくて「やつよしお」。

スタッカートな歯切れの良さとは無縁で、むしろ野暮ったい名前なのだが、どこかフルネームで発音したくなる愛らしさがあった。

俺が見たのはおそらく谷津義男が50代の頃、眉毛が立派でもうおじいちゃんの貫禄だった。

 

あれだけ名前が浸透していたのは、地元をマメに回って仕事をしていたからだ。

おそらくは横須賀における小泉進次郎もそのタイプなのだろう。

横須賀の学校に通う小泉君は「しんじろう」と呼ばれていたりするものなのだろうか。

もうそんな安易にあだ名で呼ぶような時代ではないか。

記事では谷津義男は今朝、館林の厚生病院で亡くなったと書かれている。

谷津義男は最後まで館林の政治家だった。