近況なんてなんにもない

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日曜の最終レースを終えて、競馬場の人々が帰っていく先は日常だ。

まだまだナイターの高知競馬との戦いを続ける人もいるだろうけど、とりあえずは終わりだ。

俺は仕事にも、家庭にも、それ以外にも、疲れてしまってぐったりしている。

朝、子どもたちの騒ぐ声に起こされてしまったことと、それに腹を立ててしまった自分の神経にうんざりしてしまった。

昼は、ろくに部屋を片付けることすらできない自分にそりゃ仕事なんか捌けるわけねえや、といちいち仕事を引き合いに出す思考にうんざりした。

夕方以降は仕事のイライラを抱えたまま貴重な休日を浪費しまったことに気づき、がっかりした。

競馬場から出たくはなかったけれど、残っても金が減るばかりだし、日常に帰ってもこれが近況ですといえるものすらない。

なんにもない。

 

明日は早出で働く。

明後日の祝日は休むつもりだが、その次の休みは4月になるらしい。

別にここでは腹は立たない。

どうせ途中で潰れるだろうし、潰れたらそこからはずっと休みだ。

お前らの期待通りだ、よかったな。

俺が発信者に向かないのは、楽しさを伝える能力に欠けているからだ。

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さっぱり馬券が当たらなかったので、今日のサウナは競馬場から歩いて行ける桜湯へ。

水風呂で手すりを掴んで懸垂もどきをしていたら、その様子を見ていた親子が揃って笑っていた。

高橋智(阪急)の話

あのころ、日本人選手で身長194センチといえば、一人飛び抜けてデカかった。そこで、まず高橋智に付いたニックネームは「デカ」。ブーマー・ウェルズ(阪急)、ラルフ・ブライアント(近鉄)、オレステス・デストラーデ(西武)らに見劣りしない体格で、彼らのパワーにも負けない打球を放ったことから、「和製外国人選手」と呼ばれることもあった。

確かに高橋智はデカかったが、山沖之彦のほうがデカいと思っていた。

調べてみると山沖は191センチ、充分にでかいが高橋よりは低い。

俺の山沖の記憶はおそらくマウンドの高さ込みだったのだろう。

神奈川・向上高からピッチャーとして1984年、阪急に入団。高卒ルーキーは二軍の試合になると、バックネット裏に座ってスコアを付けていた。イニングの合間にはそのデータを持って、ベンチに走る。ところがある日の試合で、代打が誰もいなくなった。見ると、ベンチから中田(昌宏)二軍監督が手招きしている。
「そのまま代打に行って、西宮球場の中段へホームランを打っちゃった。バッティングなんか、お遊びでしかやっていなかったのにね。中日戦で、確か相手は斉藤学(現・福岡ソフトバンクコーチ)さんだったと思います」 

糸井嘉男、あいつはどこにいったんだっけ?

みんな、糸井がオリックスでもプレーしてたの覚えてる?

今は阪神か、でもスタートは日本ハムだったんだぜ。

俺はまだ野手転向前の若き日の糸井が、ロッテ浦和球場のマウンドに上がる姿を見たことがある。

背は高くても体つきがゴツゴツしていて、投手らしいスラっとした感じがなかった。

後に野手に転向したと聞いて、ああやっぱりなと思った。

高橋もきっとそのクチだったのだろう。

自分に向いたポジションと出会えたのだから彼らは幸せだったに違いない。

 そのときベンチには、現役最終年のスラッガー水谷実雄がいた。その一打で、高橋に何か感じるものがあったかどうかは分からない。ただ翌1986年、『プロ野球ニュース』で、1987年から阪急二軍打撃コーチに就任の決まった水谷が、「一人デカいのがおるから、あれを一人前に育てます」と宣言した。それを見て、「俺のことだな」と思ったのは鮮明に覚えている。高橋はその年ピッチャーを“クビ”になり、外野手に転向していた。

今はひとりの選手を名指しして育てると宣言するコーチ、なかなかいないよね。

強化選手だとかなんとかで、何人かの名前を挙げるケースはあるけれど。

選手たちを建前だけでも平等に扱わないと、新人が入ってこなくなってしまうのか。

独立リーグからドラフトにかかって涙している選手に感情移入はするけれど、今は選手が球団を選ぶ時代になっている。

大きな転機は1991年。新任の土井正三監督が、高橋を辛抱強くスタメンで使ってくれたのだ。この年、高橋は1軍に定着すると、123試合出場で23本塁打を放ち、大ブレークを果たす。
「あるとき練習で、僕が松永(浩美)さんに『なんかダメなんですよね』みたいなことを軽く言ったんです。そうしたら『何も考えず、黙ってセンター返しをしておけ』と言われました。俺が見本見せたるから、と」
 松永はバッティングマシンのほぼ正面に立ち、胸元に向かってくる球をカーンと綺麗にさばいて見せた。ステップしたとき(右バッターの)右肩が開かずに残り、球をギリギリまで引き付けて打つ。そのときバットの先端は、内側から実にスムーズな軌道で出ていった。 

パンチ佐藤に「中国人の嫁さんは弁当も作ってくれないのか」と言った土井正三

マッチ棒でゲームセットの松永浩美

癖の強そうなふたりに目をかけてもらったんだな。

高橋はデカい見た目と荒いバッティングで無骨なイメージだけれども、実際にはかわいげのある男だったのかもしれない。 

98年オフ、トレードでヤクルトに移籍。そこで高橋は、息を吹き返す。オリックスヘッドコーチ時代に高橋を買ってくれていた中西太が、ヤクルトの打撃アドバイザーを務めていた良縁もあった。1999年からの2年間で本塁打29本、3割近い打率を残し、八重樫(幸雄)コーチに「デカがいたから、(若松勉監督就任からの)この2年間最下位にならずに済んだ」と言わしめた。だが――。

ヤクルト時代はあまり印象がない。

というより本当にセリーグでもプレーしていたのかという感じだ。

中西太さんの名前が出てくるところは、セリーグにいても生まれ育ちはパリーグの選手だなと嬉しくなる。

「でも今考えてみれば、あの時代にもう、俺が合っていなかったんでしょうね。野球自体が、変わってきていた。今、左から石嶺(和彦)、俺、門田(博光)なんていい加減な外野、見ないでしょう(笑)」

見よ、この豪快な球拾い軍団!と威張りたくなる外野陣。

右中間に打球が飛んだら誰が取るのだろう。

ここから数年で田口壮、本西厚、イチローの外野陣になってしまうのだから、あの頃のオリックスは進んだ野球をしていたんだ。

それだけは間違いない。

そして門田博光は170センチしかなかったことも、間違いない。

高所恐怖症を克服した日

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高所作業車という、はしご車の先のカゴがついたような車がある。
前職の時は、年末に大きなクリスマスツリーを飾る作業があって、そのカゴに乗ってツリーを天井からのワイヤーに括り付けたり、星やサンタを飾ったりしていた。
俺はその作業が嫌で、毎年の年末になるとうんざりしていた。
単純に高いところが怖いから、そして俺だけに高所作業をさせておいて下で世間話を楽しんでいる俺よりも給料の高い奴らに腹が立つからだった。
あのクリスマスツリーは、俺の呪いで輝いていたといっていい。


いつまで経っても後輩が採用されることもなく、「若いから」という理由で毎年俺だけがカゴに乗らされていた。

ところがある年からまったく恐怖心がなくなった。
もううんざりすることが多すぎて「死んじまってもいいや」と本格的に思い始めた頃だと思う。
自分の命を放り出してみると、いろいろなことが怖くなくなった。
これは健全な精神の話ではないから、こういうことがあったということだけだ。
生きることが楽になったわけでもなく、もちろんここから新しい世界が開けたということもなく。
そんな心境で高所作業をしていた俺を、なぜか活き活きと仕事に取り組んでいると評した人がいた。
おかげでようやく後輩が入ってきても「あいつはあの作業が好きだから」という理由で、高所作業は俺が続けることになった。
そういう風土が大嫌いで、結局俺はケンカ別れで転職をしたのだった。

 

活き活きしている人を見たら、気にかけてあげてほしい。
ある日突然、消えてしまうかもしれないよ。
その時ツリーの下でゲラゲラ笑っていた連中は「彼が消えてしまうとは思わなかった」と、しれっと言うのだろう。
今日も働いている中で「最近お前元気そうだよな」と声を掛けられ、腹を立てながら、あの頃のことを思い出した。

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今日のサウナは幡ヶ谷の観音湯。

観音湯へ向かう路地の入り口の、花魁ガールズバーの女の子が、衣装のまんまでタバコを買いに出てきていて、やたらと強い風に吹かれている様子が、クソエロくて異世界感があった。

以上。

謎のゴールドマン・サックス

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書きたくない男がやたらと書いて、口を開くのも面倒くさがる男がやたらと喋った。
どちらも俺のこと。
いつどこで息吸ったらいいのかってくらい忙しかったな。
どうせ途中で潰れる(俺が)と思い安請け合いした仕事たち、どうやら俺が一年間もってしまいそうだから、責任をもって最後まで取り組む羽目になってしまっている。
外資系の金融とか、例えばゴールドマン・サックスとか(知識がないのでビッグネームしか出てこない)、どういう人間がどういう働き方をしているのだろうか。
そして忙しい忙しいと言いながら、俺は相変わらずサウナには行く。
忙しいから意地になって行っている面はあるのだけれど、とにかく行く。
今日は昼に、例の根岸Sの的中分から靴を買った。
なんだ、そういう買い物をする時間もあったじゃないか。
夜、コンビニや境南浴場に行く時に履くつっかけ的なやつ、4980円プラス税。
せっかくの泡銭なのに、まだ生活に密着した必要なものしか買えていない。

それに通勤カバンもまだ選べていない。
いくつになっても、つまらない男はつまらないまんま。

きっと俺は3歳の頃からつまらない男だったに違いない。

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桜を見る会がなくなったおかげで、府中では桜湯が再開した。
もう疲れ切ってしまって言っていることの意味が分からない。

とにかく俺は桜湯に寄って、帰ったらしい。

寂しい北欧

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今日のサウナは上野の北欧だった。

ドラマ『サ道』はここ北欧を中心に展開していたし、このあたりでは一番人気のサウナ施設であると言っていいだろう。

それまでは「サウセンが」「ニューウイングが」「いやいや案外本八幡が」と言われていた公のサウナランキング議論に(そりゃ個になれば別だろうけど)、『サ道』の力で一応の区切りがつけられた形だ。

今の時代もやっぱりテレビの影響力はある。

 

ただ、俺はどうもこの北欧が苦手だ。

苦手なのに来てしまったのは、ここのサウナと水風呂とビル風の外気浴の魅力によるものだが、今日もやはり苦手だと思った。

あの食堂の前、リクライニングシートが並んでいるあたりの雰囲気、空気、影が苦手なのだ。

これは風水の話かもしれないし(Dr.コパさん次走からまたコパノキッキングに藤田菜七子乗せてくれるの?)、単なる自分の思い込みかもしれない。

今日は3セット汗をかいて、ハンバーグ定食を食べた後、ここで横になった。

うとうとしたところまでは計算通りだった。

しかしすぐに起きてしまった。

それもなんだか寂しい気持ちになって起きてしまった。

寂しいことを「寂しい」と書くのは小学生までの作文かもしれないが、ただ寝て起きて寂しくなっただけなのだから何の描写もしようがない。

「寂しい」と書くしかない。

唐突に「そんなにたくさん人が死んだら国土が墓で埋まってしまう」なんてフレーズが浮かんできたから、そんな夢を見たのかもしれない。

寝ていたのはおそらく15分くらいのことだったので、その割には壮大な夢を見てしまった感はある。

とにかく俺は寂しくなって、もう一度浴場に戻った。

サウナ室では「川崎麻世は良かったなあ」なんて会話が耳に入ってきて、少し落ち着いた。

 

帰りは久しぶりに新宿のビックロに寄って、昨日の根岸Sの的中分で買い物をした。

タブレットのカバーがボロボロになっていたので新調した。

画面に貼るフィルムも買った。

お店の人は「お貼りしましょうか?」と訊いてきたので「自分でやるので」と断った。

自分より先に誰かに手を触れてほしくなかった。

通勤用のカバンも買いたかったが、保育園のお迎えもあって選ぶ時間が足りなかった。

家族のために何か買う発想は、今日の俺からは生まれなかった。

 

今のところまだ、厄年らしい出来事は起こっていない。