『燃えよ左腕 江夏豊という人生』(江夏豊)

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本革のボールがバットと衝突すると、カチーンと音がして、どこまでも飛んでいく。打たれても気持ちよかった。そしてピシーッとキャッチャーミットに収まったときの快感。

 

怖い顔してるし服役した過去もある。

しかし読み進めるとこの人、実に素直な人なんだなと思えてくる。

素直に育ち素直なままに生きてきた江夏豊、現在70歳。

 

プロ野球の世界に入ってからも、弱い球団で巨人など強い者を倒すことを生きがいとしてきた。たまたま阪神に入ったからそうなったわけではなく、高校時代からそういう性分だったのかもしれない。

 

巨人を倒すことを生きがいにしていたように見えた選手が、FA権を取得すると急に「巨人で野球をするのが夢だった」と口にする場面を幾度も見てきた。

江夏には、もちろんそんな都合のいい思考回路はない。

 

開口一番、佐川さんは「俺は別にお前なんかほしいとは思わん。社交辞令で来てるだけなんだ」と言い放った。1位指名した手前、一応筋を通しておくが、別に入団しなくても構わない、というのだ。

 

東海大への進学を決めていた18歳の秋、ドラフトで阪神から指名され、ベテランスカウトと梅田の喫茶店で交渉する。

プライドを傷つけ、わざわざ江夏を怒らせる老練スカウトの作戦に乗せられて、入団を決めることになる。

阪神のエースを引き継ぐことになる村山実との出会いといい、若い頃から「本物」と接してこれたのは江夏の才能ゆえ。

才能のある人の周囲には、自然と才能のある人が集まってきて、才能をより大きく開花させるための助けとなる。

それでいて江夏自身は相手の才能だけとは付き合っていない。

 

そのメロンを飽きるだけ食べたい、という夢も実現した。たまたま静岡のメロンを扱う業者さんと知り合いになって、虎風荘に十日に一度くらい、木箱で送ってくれるようになった。いろいろ差し入れをもらったものだが、これだけは誰にもやらず、自分一人で食べた。

 

時代が違う、といえばそうだけど。

タダ酒、タダ女は全て断ったという江夏が喜んだのはメロン。

どこまでも素直な阪神のエース。

 

球界は前年秋に発覚した黒い霧事件で揺れていた。西鉄(現西武)の投手が八百長を働いたという疑惑から、野球選手と暴力団との交際が、スクープの標的となっていた。

その火の粉が自分に降りかかってきた。六月十七日「江夏の黒い交際」として、暴力団関係者から百万円相当の高級時計をもらった、と報道されたのだ。

 

結局江夏はシロであると証明された。

黒い霧事件を引き起こした本人が書いた『ファンに詫びる』という世界一胸糞の悪い本を読んでしまったことがあるのだが、そこでも江夏について書かれていた記憶はない。

ただこの騒動で心臓の病気が悪化し、以降は薬を首からぶら下げながら投げたという。

素直な人間はどうしても周囲に翻弄されてしまう。

この本を読む限り江夏は良くも悪くも一匹狼ではなかったと言える。

 

監督、コーチといえども、選手の生活権をおびやかす権利はないはずだ。そういうことが許される野球界になってしまったのか。だとしたらプロ野球は自分にとって、もう何の魅力もなかった。

 

やたら選手に殴られていたという人徳のない阪神金田正泰監督、ソリが合わないので逃げの手に出て先に江夏を放出に動いた吉田義男監督。

江夏の性格まで踏まえた上で自由にさせた広島古葉毅監督。

選手たちが親父のように慕う心の温かい日本ハム大沢啓二監督。

ろくに会話も無いままに引導を渡してきた西武広岡達郎監督。

江夏ほどの男でも上司次第でこれだけ状況が変わるんだから、いわや自分…