角居調教師の勇退宣言とか、式守伊之助のうんたらかんたらとか、ニュース充実の1月6日朝刊。
しかし一番大きく取り上げられていたのは「燃える男」星野仙一の死去だった。
故人を悼みつつ、やれ暴力が、政治力がと、ネットの世界ではおおよそそんな感じで語られている。
俺はあからさまに暴力が嫌いな男で、暴力の振るい方も忘れてしまった男である。
親を殴ったことはないし、妻を殴ったこともないし(殴られたことは一度ある)、子どもを叩いたこともない。
人に手を出す発想そのものがないから、たぶんこれからもこの調子で生きていく。
星野仙一が初めて監督になったのは中日で、今の俺と同じ歳の頃だった。
立場が入れ替わったところで、プロ野球選手という半個人事業主の曲者集団を取り仕切れるか。
ましてや中日だ。
選手個人にスポンサーがつくような土地柄、当時はまだまだ景気のいい時代で、大過なく現役を終えれば悠々自適の人生が待っている。
そんな状況下、青年監督が本気で巨人に勝つことを目指すなら、恐怖政治しかなかったんだろうなあとも思う。
岩本、小松崎、仁村兄。
人数の限られたベンチ入りメンバーの中に、乱闘要員を3人も入れたことの意味。
何にしろ負けたくない、負けることは許さない。
いかにも38歳、勝気で若い管理職の在り方だと思うと、今さら星野仙一が案外身近な存在に思えたりする。
ノムさんは阪神の監督時代に「チームを強くするには西本幸雄監督か星野仙一監督を実現すべき」とオーナーに訴えていたそうだ。
今の球界にそんな存在はいるのか、これからの球界にそんな存在は許されるのか。
やっぱり星野仙一が亡くなったということは、よく使われる言い回しでベタなんだけど、ひとつの時代が終わったということなんだと思う。