「サウナセンター大泉」から「サウナセンター」へ。
建物はもちろん、細々と変化はあれども大枠はそのまま。
たかが名前、されど名前。
俺にとってのサウナセンター大泉は、魂が落ち着く場所だった。
熱いサウナ、水風呂で聴く風鈴の音色、非常口から見下ろす下町の景色。
いい大人がいちいち傷ついたなんて言うもんじゃないと、そうなった理由のわからないルールの中で暮らす癖がついてしまっているので、内なる傷を独りで静かに癒したい時はいつもここだった。
蚕棚のような仮眠室、おそらくは昭和の時代に作られた案内板、ソーセージエッグ定食。
サウナセンターになっても仮眠室はあるし、案内板も続けて使われてるし(一部は外された?)、ソーセージエッグ定食も頼めば作ってもらえるらしいけどね。
仕事にうんざりして逃げ出した平日の昼間、ロッカーで着替えながら遠くから掃除機の音や干した布団を叩く音なんかが聴こえてくると、時はゆっくりと流れて世の中は本来優しくできているものなんだと思えたりした。
サウナセンター大泉はそんな思い出の場所、サウナセンターはこれから思い出を作っていく場所になるのかどうか。
まだまだこれからだ。
この日は冷やし坦々麺を食べた。
これはサウナセンター大泉の時代からあったものなのかどうか、覚えていない。
繰り返すがたかだかサウナの名前の話だ。
サウナセンターになっても建物は変わらないし、改装も加えて頑張っているのは一度来たらわかる。
ただただ、サウナセンター大泉の名前が懐かしいという話。
サウナセンター大泉に癒されてきた思い出が、文字通り過去のものになるという話。
過去のものとなった瞬間に、現在との継続感が失われるという話。
この列車は高幡不動で後ろ4両切り離しますの感覚。
わかりにくくてすまん。
それにもう高幡不動での分割併合はやってない。
(撮影許可済)
これからはサウナセンターで思い出を。
しかし風鈴が無いことだけは寂しい…
これはもしかして、サウナセンターにとっての過去との決別の意思表示なのかも。