俺は台湾へ行って臭い豆腐が食いたい

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財布のチャックが一万円を噛んでしまった。一万円札の左上がギザギザの三角形に切れてしまった。自分にとっての一万円の価値を考えると、おそらく同世代の他の者よりガッカリしていたと思う。銀行で取り替えてくれるらしいけれど、今の銀行は昔のように親切ではない。みんな大好き財務省のHPには、予約を取って日本銀行に来いなどと恐ろしげなことが書いてある。調べてみたら日本銀行は府中にもあるじゃないか!と思ったけれど、これは日本銀行の電算センターであって、直接の対応はしていないとのことだった。おそらくこの端っこが切れた一万円札は「いざという時」のために保存し続ける一枚になるのだろう。話は変わって今年のゴールデンウィークは4月29日から5月7日までだろうか。この9日の間で、今年はうまくいけば5日間の休みを取ることができる。世間が10連休なら俺は1連休だった、去年までよりは相当な進歩だと思う。その去年は、夏に広島で野球観戦がしたいとチケットまで買っていたものの遠征は叶わなかった。今年こそと思いカープのHPを開いてみると、どうもゴールデンウィークは俺の休みと合わない日程表が出ている。それでもカープが三連覇をしていた頃はシーズン前にすべてのチケットが売り切れていて、二軍戦を観に行くツアーすら設定されていたのだから、今年はまだこれからどうにでもなる。諦めた、諦めたと言いながらも、夏場のクソ暑い時期に臭い豆腐の匂いを嗅ぎながら野球観戦をするために台湾へ行くのも諦めていない、本当は。人生は短いなどと訓戒を垂れる気はないし、いざ若い頃に戻ってやり直せと言われたらうんざりする程度に人生は長いと感じているけれど、ここにきて遠くに行きたい欲求が抑えられなくなってきた。「抑えられなく」と実感のままに書いたが、これは単純に欲求を抑えられない理性の喪失が進んだだけなのかもしれない。銭湯でのカラン前、サウナ室内。場所取りは悪で間違いない。だが、それをしている動機に悪意は含まれているのだろうか。単純に利己で割り切れるものだろうか。こだわりの強さ、変化への弱さ。気質というより器質の問題に思える。年配者にそのような行動をする者が多いならなおのこと、人間は死に向かって社会に相容れない気性の問題が深化していく生き物だから理屈のつじつまも合う。解決できないのに注意し続けなければならない店の人も大変だろうし、また病んでいくのだろう。母親は「春は鬱の季節だから」と毎年言っていた。周りが巣立っていくのに取り残された春を送る俺にもその気配はある。「今年も置いていかれちゃったね」と気軽に声をかけてくれるパートのお姉さんにすら、傷つけられた思いがしてしまう。4月の2週になれば、また本格的に研究室へ通う日々が再開する。特に祝われることもなかった大学院への進学から2年目だ。あと3年、3年は生かしてほしい。上手くいこうがいくまいが、俺の日々にはいったんそこで決着がつく、そういう予定になっている。自分で立てたものではなく、自然発生で成立した予定なのでこれは信用していい。少なくとも3年経った先では、俺は臭い豆腐を食えているに違いないし、そうでなければわざわざ生きている意味がないのだ。

 

以上