東京のサウナ屋はどこも同じようになってしまった。
サウナが違う、水風呂が違う、メシが違う、料金が違う、親会社が違う。
でも根本は一緒だ。
日高屋ほどではないけれど、餃子の王将並みのチェーン店感はある。
各店にオリジナルのメニューを出す程度の裁量はあるが、入ってみれば「イーガーコーテル」で、王将はどこに行っても王将の空気で間違いない。
東京からはくたびれた魂が漂っている、腐った魂でも漂うのが許される、そんなサウナ屋は消えていった。
だからぼちぼちと俺は弾き出される。
むしろ今でも粘りすぎか。
これもまた間違いない。
サウナユーザーの層は広がった。
要望と苦情、好感と嫌気、満足と不満足。
主に他店との比較をもって語られるそれが、直接か間接かSNSか、大量に吐き出される。
サウナ屋はそれをしっかり受けとめ改善につなげる。
お客が来なければ店も生活も続かない。
当然だろう。
ある種の浄化だったのかもしれない。
結果、サウナ屋はどこに行っても画一的な雰囲気が流れる空間になった。
かつてのように、腐った魂でも置かせてもらえる場所ではなくなった。
昨日のサウナはロスコ。
久しぶりすぎてなにを食ったらいいのかもわからなかった。
露天風呂には白い椅子が2脚置かれて、天降石活性水のジャグジーを楽しむというより、外気浴のためのスペースになっていた。