サウナトーホーとお別れを

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8月31日に来た横須賀のサウナトーホーに、一週間後にまたやってきた。

この店は9月11日の朝、閉店する。

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先月一杯でとしまえんが閉園した時、ネットには別れを惜しむ声が溢れた。

同時に「お前らが行かなかったから閉園するんだよ」と、感傷的な見方に蓋をしようとする書き込みもまた多かった(そもそもとしまえんは東京都の防災計画との絡みで閉園することになったので、別に営業不振が理由ではない)。

最近ネットでは、物事の終わりを惜しむ側を「お前が金を落とさなかったからだ」と責める詭弁の話法を見ることが多い。

やらかした側から「批判からは何も生まれない」と先にこちらの口を塞ごうと押さえ込んでくる、あの無理筋な主張と同様に定着しつつあるように見える。

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未来の修正というのは出来ぬが、過去の修正ならば出来る。
そして、実際に起こらなかったことも、歴史のうちであると思えば、過去の作り変えによってこそ、人生は現在の呪縛から解放されるのである。

寺山修司

一度でも来たことのある店の、記憶に残る光景が消えてしまうのは「寂しい」で間違いない。

ついに来店が叶わなかったサウナ店にですら、思いをはせて「寂しい」と思うのは自由であって、あり得ることであって、自然なことに思える。

だってサウナが好きなのだから。

別れを惜しむのに、遠慮などする必要はない。

 

こんな時間でもまだ寝られずにいるので、これから下に降りてもう2回くらい「リョウリュウ」を受けてこようかと思う。