大井競馬場で逢おう 中野省吾にお別れを

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3月30日、大井競馬場

この日まではデー開催、最終レースは16時50分。

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で、今日は中野省吾を観にきたんだ。

通算505勝、26歳。

チャンスを掴んで、大レースでも実績を積み重ねて、地方競馬を飛び出して、中央競馬を飛び越して、何なら世界に飛躍していく男だと思っていた、中野省吾。

今日で引退。

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騎手免許を更新できなかった理由。

やれ制裁回数が、素行がと言われているが、本来そんな重大な要因ができた時点で処分すべきだったろう。

漠然と管理して、縛って、放置して、ある日突然生業を奪うやり方は筋が悪いだろう。

みんな好きなことを言え。

俺も好きなことを言う。

競馬場まで来て、会社の続きなんて見たくないんだ。

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御神本はたくさん勝つなあ、という騎手だった。

彼も騎手免許を更新できず、時を経て帰ってきた。

やはり上手い騎手には違いないのだが、いまいち騎乗数が増えていかない。

中野にも戻ってきて欲しいが、牙を抜かれた中野の姿は見たくない。

程よく角が削れた中野も想像できない。

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今日の中野は3月15日、騎手免許が更新できないことを告げられた日以来の騎乗。

集まったのは7鞍。

最終日に騎乗すると聞いた時は、お友達の馬主さんが顔見せ用に1鞍用意してあげるくらいか、と思っていた。

それが7鞍、人気馬含む。

これをどう捉えればいいのか分からないまま、最終レースへ。

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本当にいなくなっちゃうのか、中野。

騎手はもういいでしょ、と語ったという記事があった。

まだ迷いがある、という心境を書いた記事もあった。

迷いを打ち消したところですぐに希望の未来を選べる状況でもないのだろうが、迷うくらいならまた競馬場で馬に跨ってみないか。

「省吾、ありがとう」「戻ってこいよ、待ってるよ」

と声援が飛ぶ。

中野の表情は柔らかい。

右から3人目が中野。

赤、黄鋸歯形の勝負服。

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中野はこんな馬でも持ってくるのか、と思わせる騎手だった。

勝ったレースより人気薄を馬券圏内に持ってきたレースのほうが印象深い。

1番人気ー2番人気ー8番人気の決着、その8番人気に乗っているのが中野というイメージだ。

古き時代の福永洋一もファンにはこう見えていたのではないか、と思わせる。

だからやっぱり、もう少し長いこと騎手を続けてもらって、タイトルもたくさん獲って欲しかったな。

最終レースはマホウジンで6着。

いつかまた中野が騎手に戻った時、俺はまた会いに行く。

それが船橋でも、府中でも、オーストラリアでも。

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そしてもう一人。

付け足しのようになってしまって申し訳ないが、吉井竜一も今日が最後の騎乗。

こちらは調教師への転身だからひとまずはめでたし、ということでいいだろう。

すぐに息子が騎手でデビューするらしいが、親子で騎乗は難しかったか。

調教師試験に合格するタイミングもあるからなあ。

息子さんも4着が多かったら、何だか微笑ましい。

思いやりをください

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そもそも「思いやり」だなんて、簡単に言ってくれんなよなあ。

そんなあっさりしたもんじゃねえんだ、誰にでもくれてやれるもんでもねえんだ、「思いやり」ってやつはよお。

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前提としてお互いが性別、年齢、立場とか何だとかを越えて精神的に対等な関係にあって、その上で相手のことを思って起こした行動や言動のことを「思いやり」というのですよ。

俺にだけ寄越せ、私だけが特別、そんな奴にくれてやる「思いやり」なんて、川崎競馬場のゴミ箱の底まで探ったってありゃしない。

出直してこい。

いや、もう来るな。

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最近よく怒ってるな、俺。

愚痴ってるな、俺。

疲れてるのか、俺。

誰か俺に「思いやり」をください。

 

そもそも「思いやり」だなんて(以下無限ループにつき略)

新・国分寺駅今昔写真展【昔】

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駅の前の電柱に、魅力的なポスターが貼ってあった話。

こんな出会いもあるわけで、だからむやみに電柱の地下化なんぞ進めてはいけない。

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今日は別に怒ってないから。

例のハラスメント研修はもう終わった。

あの内容が身にならない人間には、俺が個人的に制裁を加えてやる。

で、そういうのもまたハラスメントなんですね。

皆さん気をつけましょう。

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入居者も痩せるゴミ専用。

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いろんなことが終わっていく季節。

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それでも、生活は続いていく。

 「人生の苦しみとは、生活の苦しみなのだから」(虫明亜呂無

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駅前でポスターを発見してから徒歩5分以上10分未満。

ついさっき決まった目的地、こくぶんじ画廊に到着。

お目当ては「新・国分寺駅今昔写真展【昔】」。

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入場料だと思って買ったポストカード一枚は、昭和58年の国分寺駅

これを懐かしいと思えるほどの東京歴はないし、そもそもそんなに長く生きてはいないけど、狙ってないのに味がある駅舎っていいね。

単純に昔は良かったとは思わないけれど、この時代にこの駅舎を取り込んだ生活をしたかったと思わせてくれる。

この駅から学校へ、この駅から仕事へ、この駅から旅へ、この駅から好きな人に会いにいく。

まずは急行かわぐち・かいじでスタートしましょうか。

 

この展示は3月27日で終わってしまったけれど、4月になると「新・国分寺駅今昔写真展【今】」の展覧会になるらしい。

 

【こくぶんじ画廊】

http://kokubunjigarogalle.wixsite.com/kokubunjigaro

セクハラとパワハラの国境線

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ハラスメント研修。

正しいセクハラとパワハラのやり方について。

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部下に訴えられないように気をつけましょう。

これは指導なんだ!と強調しましょう。

それでも部下が訴える、組合に持ち込んでやる、と強気に出てきたら「心が辛くなった」と手紙を残してしばらく休みましょう。

以上はさすがにフィクションです。

そんでもって以下はノンフィクションです。

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質問タイムになると「どこまでがセクハラなんですか?」「ここまでならパワハラになりませんよね?」と地平線の向こうにある水平線のさらに先までの国境線をしつこく探ろうとするおっさんは本当に醜い。

「ここまでならセクハラになりませんよ」と言われたら、そこまではやるんですか?

「それならまあ、パワハラにはなりませんね」と言われたら、安心して圧力かけますか?

「結局は受け手次第ですから」と言われたら、狭量な部下を嘆きますか?

いつだってセクハラしたい、俺のパワハラは正しいパワハラってか。

 

コンプライアンスという言葉がはびこり出してからうんざりすることも増えてしまったけれど、これだけは駄目だわ。

おっさんたちは本当に駄目。

もう毎日やったらいいんじゃない、ハラスメント研修。

死ぬまで毎日。

俺もおっさんなんだけどさ、こいつらと一緒にはされたくないわ。

俺とショルダータックルおばちゃん

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電車でサウナに行ったんです。

大塚のサウナ玉泉にはたくさん汗を掻ける玄人好みのサウナがあって、彫り物の入った人生の先輩がたくさんいて…

とか、ここについて書いても結構な字数いきそうなんだけど、今回はサウナ玉泉が主題じゃない。

ごめんね。

 

行きの電車、京王9000系ロングシートがほぼ埋まる程度の乗客数。

パパ、ママ、ボクの3人の家族連れが飛田給から乗って来たから、俺は席を動いた。

3人並んで座れるスペースを作った。

「ありがとうございます」と感謝された。

それだけ。

この程度で偉ぶるつもりなんかないし、いささかモラルに欠けると妻から評される俺の世界においても、これは当然で必然の行動。

 

帰りの電車、新宿発23時12分の特急京王八王子行きは8000系、当然整列乗車。

俺の前にいたおばちゃんが、ドアが開くとショルダータックルをかまして車内に突っ込んで、自分と両隣りに紙袋を置いて3席確保。

俺は座れず、俺の遥か後ろに並んでいたおばちゃん2人が、ショルダータックルおばちゃんの「ここよ!ここよ!」の声に呼ばれて着席した。

3人揃って満面の笑みだった。

それだけ。

 

何なんだろうね、この俺とおばちゃん達を分かつものは。

教育?政治?経済?遺伝子?

こんなことはよくあることなんだけど、いちいち腹を立ててたらキリがないし疲れるんだけど、やっぱり腹は立って、なんだ俺の心はまだ働いてるんだなと思った。

 

「ゆとりとはまず何よりも空間のことである。ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。そして動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない、他の心と交流できない」

谷川俊太郎『ひとり暮らし』)

 

俺にも京王線にも空間が足らんということなのか。

どこかの都知事は満員電車解消!とか言ってたはずなんだけど。

そういえば花粉症撲滅!の話もセットだったはずなんだけど。