俺とショルダータックルおばちゃん

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電車でサウナに行ったんです。

大塚のサウナ玉泉にはたくさん汗を掻ける玄人好みのサウナがあって、彫り物の入った人生の先輩がたくさんいて…

とか、ここについて書いても結構な字数いきそうなんだけど、今回はサウナ玉泉が主題じゃない。

ごめんね。

 

行きの電車、京王9000系ロングシートがほぼ埋まる程度の乗客数。

パパ、ママ、ボクの3人の家族連れが飛田給から乗って来たから、俺は席を動いた。

3人並んで座れるスペースを作った。

「ありがとうございます」と感謝された。

それだけ。

この程度で偉ぶるつもりなんかないし、いささかモラルに欠けると妻から評される俺の世界においても、これは当然で必然の行動。

 

帰りの電車、新宿発23時12分の特急京王八王子行きは8000系、当然整列乗車。

俺の前にいたおばちゃんが、ドアが開くとショルダータックルをかまして車内に突っ込んで、自分と両隣りに紙袋を置いて3席確保。

俺は座れず、俺の遥か後ろに並んでいたおばちゃん2人が、ショルダータックルおばちゃんの「ここよ!ここよ!」の声に呼ばれて着席した。

3人揃って満面の笑みだった。

それだけ。

 

何なんだろうね、この俺とおばちゃん達を分かつものは。

教育?政治?経済?遺伝子?

こんなことはよくあることなんだけど、いちいち腹を立ててたらキリがないし疲れるんだけど、やっぱり腹は立って、なんだ俺の心はまだ働いてるんだなと思った。

 

「ゆとりとはまず何よりも空間のことである。ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。そして動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない、他の心と交流できない」

谷川俊太郎『ひとり暮らし』)

 

俺にも京王線にも空間が足らんということなのか。

どこかの都知事は満員電車解消!とか言ってたはずなんだけど。

そういえば花粉症撲滅!の話もセットだったはずなんだけど。