救えなかった高崎競馬場

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住宅の案内図に残る高崎競馬場

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高崎競馬場が競馬場として存在していたのは2004年末まで。

最後の開催日は雪のために途中で打ち切られ、メインの高崎大賞典は発走できなかった。

最後のレースのパドック、降り続く雪の中で騎手たちは観客に「これが最後のレースです」と呼びかけたのだという。

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錆びた扉の向こうに、高崎競馬場の跡。

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時々蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる。

横川行きの観光列車だ。

ここは多くの地方競馬場と違って、ターミナルの高崎駅からほど近い。

便利な立地、にも関わらず生き続けることはできなかった。

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立地なんて、もう関係ない時代か。

高知競馬、門別競馬、弥富に移転する名古屋競馬。

ネットで馬券売ってなんぼの時代。

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高崎競馬に携わっていた人たちは、当然高崎競馬に廃止になって欲しくはなかっただろう。

今は幸せに生きているとしても、その時はだ。

彼らは今の朽ちていく高崎競馬場を見て、何を思うだろう。

最後の高崎競馬騎手リーディングは丸山侯彦(丸山元気の父)、次点は水野貴史(浦和競馬の調教師)、以下金井正幸、茂呂菊次郎と続く。

茂呂というのは珍しいようで群馬にはそれなりにいる名字。

群馬で育った俺と同じクラスにも茂呂君がいた。

茂呂君がどうしているかは知らないが、茂呂菊次郎は亡くなってしまったらしい。

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もう競馬が開催されることはない。

だから開催執務委員長とやらの言うことは聞かないよ。

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こうしてかつての競馬場を歩いていると、悔しさと腹立たしさの中間のような感情になってしまってだね。

何がNARだ、何がJRAだ、何が高崎市だ、何が交流レースだ、何が競馬ファンだと。

俺たちは目の前の競馬場ひとつ、救えなかったじゃないか。

守れなかったじゃないか。

残せなかったじゃないか。

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弥生時代の石器が出たとかで、高崎競馬場跡地では遺跡の発掘が行われている。

このままならば高崎競馬場の遺跡として後世に残ってしまいそうだが、発掘が一段落したところでここにはコンベンション施設とやらが建つらしい。