昼の定食屋でこれだけ食べれば、さすがに「晩メシはいらない」の気分になってしまう44歳。
しかし帰り道の新宿駅でつけ麺を食べた。
衰えは食欲の減退よりも、食べたことを忘れる方向に向かっているのかもしれない。
「おい、朝ご飯はまだか?」
「あらいやだ、おじいちゃん、今食べたばっかりでしょ?」
小田原駅から徒歩5分ほどの距離にあった「しずか定食屋」はまったくもって地元の店だった。
箱根の手前にあって、小田原城がある小田原において、インバウンドのイの字もない店だった。
そして週末にたい焼き屋がしっかり休んでいたから、小田原はここで生活する人たちのための街だと思った。
10年間も神奈川で働いたけど、神奈川をまだまだ理解できていない。
誰か群馬に引っ越してくれたら、そちらは3日ですべてを叩き込んでやる自信がある。
40年以上生きてきて変わったのは、「的を射る」が「的を得る」でもよくなって、むしろ「射る」がださくなってきたことくらいですかね。
西湘バイパスの高架下の、トンネルの向こうに見える海。
「見つけた!」と思ったんだけど、すでに名物になっている風景なのであった。
小田原市 | 【広報小田原特別企画】未来に残したい小田原の「景色」ランキング 結果発表!
まだ暑いんだけど、変人扱いされるのも面倒なので、大して暖かくもない上着を一枚羽織りながら毎日を過ごしてる。
海っぺりを歩くとよみがえる思い出。
7年前か8年前か、子連れの人妻と、小田原ではなかったけれど、確か鎌倉だったか、とにかく神奈川の海をデートしたことがあった。
子育てがつらい、毎日が苦しい、夫も休みが取れない。
今でいうワンオペの状況の中で、どうしても海が見たい気持ちが抑えられなくなったのだという。
最初は妻に連絡してきた。
妻は妻で、仕事が繁忙期の最中だった。
「ごめんなさい、でもあの人でよければ」とこっちを見てニヤリと笑って、俺が貸し出されることになった。
砂のついた子どもの手と足を俺の着ているシャツで拭いたら、「そんなことまでしてくれるなんて」と彼女は泣いていた。
思い出の人妻も、今は旦那さんの仕事も落ち着いて、家族で幸せそうに暮らしている(ように見える)。
そんなことを知っているのは、お互いの子どもたちが同じ小学校に通っているから。
物事を自力でなんとかできないのが子どもたちの辛さ。
それもわかってる。
小田原市郷土文化館は古い建物で、もちろん史料も古くて、すべてが古い匂いに包まれていて、深呼吸したくなる素晴らしい場所だった。
この日まで「小田原の関東大震災」の展示がされていて、なにせここは小田原なので、当たり前のように根府川駅の史料もたくさん展示されていた。
そして実際に足を運んでしまった根府川駅。
史料に映る根府川駅は今も海の中に眠っている。
小田原というか、鴨宮というか、国府津から歩いて行ったコロナの湯。
湿度の高いスーパー銭湯のサウナ室は、これが本来の姿なんだろうかと思う。
サウナストーブはどれも頑張っていて、その湿度は人間から生みされているのではないか。
サウナ室のコンディションは、結局は人間によって作られているのだと思う。
以上