ソーシャルディスタンスは好ましい

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「ソーシャルディスタンス」という言い方は嫌いだけど、堂々と人との距離を取れるのは好ましい。

あまり会話をせずに淡々と仕事しろ、という流れも元々会話をしたくない人間にとってはありがたい。

お互いにマスクをして表情を察する必要性が最初から放棄できているのも、仕事より他人との関わりで慢性疲労が発生している自分には理想的だ。

何人もで寄り固まるなという話だって、いつも一人でいたい俺にとっては何のストレスにも繋がらない。

要するに困る要素は何もないはずなのだが、こうして俺が生きやすい仕組みが出来上がると、世の中はこんなにも不自由になってしまうものなのか。

 

どこか遠くに行きてえよお。

でも今は日本どころか、世界中のどこにも行き場がない。

 

弱者に冷淡だった有名人がいつのまにか「人の命を守れ」と言っていた。

どうせもう終わりなんだから、最後まで貫けば良かったのに。

「俺の命だけ守ってくれ、あとの命は知らん」と素直に言えば良かったのに。

まあこの社会がこの先まだ続いていくと信じているのなら、むざむざと仕事を失うようなことはできないか。

 

妻はベビーカーを押しながら、心無い言葉を投げつけられたことが何度かあるという。

俺はそれを「弱い者を攻撃して快楽に浸りたいが、さすがに子どもを直接攻撃するのは気が引けるので、反撃しにくい状況の者を選んで攻撃する」メンタリティの持ち主の品性下劣な行為だと思っていた。

しかし世の中が殺伐としてくると、さらに民度が低くなってくると(民度という言葉を嫌う向きは多いので、俺が嫌われるためにあえて使う)、直接子どもが攻撃されるケースも出てくるだろう。

しばらく子どもが外に出る時は俺が付くことにする。

睨まれたら睨み返すし、それに俺ならば刺されても問題がない。

 

首が痛い、肩が痛い、背中が痛い。