久しぶりの境南浴場で、どうして久しぶりだったのか自分でもよくわからないのだけれど、調べてみたら40日ぶりで、これは俺と境南浴場の関係からすれば確かに久しぶりの範疇だ。
たぶん入店したのは22時過ぎ、浴室には多くのお客がいたが例のサウナ利用客用の透明トートバッグは1つしか引っ掛かっておらず、占有面積の広いサウナタイムを楽しめてしまった。
ここは風呂も熱くていいからね。
世の中に風呂しかない銭湯はたくさんあるが、サウナしかない銭湯は聞いたことがない。
銭湯の本分はやはり風呂であって、銭湯が風呂で賑わってくれるのはいいことだと思う。
そして境南浴場には22世紀まで営業してほしい。
どこまでも血が継承されていく確信はないけれど、そうなったら理論上は俺のひ孫までが通えることになる。
俺は自分の父親の父親の父親のことなんて考えたことはない。
けれども子どもの子どもの子どものことなら想像してみてもいい。
ずっと足元がだるくて、ふくらはぎが張っていて、俺はこれを靴が合っていないのだと睨んで、革靴を履くのをやめてスニーカーにした。
仕事中をスニーカーで通すことにしたら、普段もスニーカーなので、ずっとスニーカーで過ごす男になった。
楽になるのはなによりも魅力。
これを「老い」と自虐でまとめてもいいんだけれど、やっぱり今年は独特の疲れがあるように思う。
スペイン風邪の時代に人々はどうやって暮らしたのだろうと興味を持ったこともあったけれど、特にこちらから学ばなくとも、結局は現在進行形で類似した事態を知るはめになってしまっている。