早朝の立川。
立川ミナミのカラカラサウナに入りたくなって、家を出たはずだったのに。
自分との約束すら守れない男が、立川発721のあずさ1号に乗り込む。
車窓には韮崎の観音様が。
松本着938。
駅前にはサウナ「クリーン・アップ」の看板だけが残っている。
俺はいつか「ワイルドピッチ」というサウナを造って、世のはぐれ者たちを受け入れたい。
長野県出身の人と出会うと、きっと最後は手堅いことを言うんだろうと決めつけてしまう。
それが俺にとっての信濃の国のイメージ。
「おぶ〜」は、家族みんなで仲良く入浴のスーパー銭湯だと思っていたら、剥き出しのストーブが3基並ぶ武骨なサウナ室だった。
三連休の最終日でも、特急あずさの指定席はスカスカだった。
便利で寂しい。
みんな外に出るのをやめてしまったのだろう。
ここは南松本駅前名物、線路をまたぐラーメン屋。
かつては工場への引き込み線があったところを、線路はそのままに埋め込んだらしい。
実は42年前に俺が生まれてしまったのがこの丸の内病院。
松本は俺が生まれた土地なのだ。
当時からは建て替えられた病院が、また古びた姿に戻ろうとしていて、人間それなりに生きていると、建物の3代目までは見るものなのかと思う。
その丸の内病院からすぐそこの、「湯の華銭湯 瑞祥 松本館」でこの日2回目のサウナへ。
水風呂の水温計は24℃の表示だったが、入ってみれば痛覚に寸止めだったので、おそらく14℃だったのでは。
松本には幼稚園に入る直前までの思い出しかないので、相手が求める記号としての回答は、館林で間違いないと思う。
ただね、こうして夏の暑い日に歩きまわりながら景色を眺めていると、故郷を捨ててしまったようで、松本に申し訳なくなる。
この街の年季が入った看板を見ると、これがピカピカだった頃を、子どもの俺は見ていたのではないかとも。
あれから群馬に育って、山梨で学んで、東京に根を張っているつもり。
松本の思い出は、両親と団地から歩いてメロンアイスを買いに行ったこと。
「大きくなったらここに通うんだよ」と言われたのが松本市立寿小学校だったこと。
村井駅でよく電車を眺めていたこと。
普段は座っているだけでもグッタリしてしまうのに、旅先ではまったく疲れない。
肩も背中も痛くない。
あのまま松本に生きていたら、今とは違う妻と子と暮らし、信濃毎日新聞を読む日々だったのか。
内心でずっと東京に憧れながら。
俺はどうしてもこの「湯にいくセンター」に来てみたかった。
理由は名前。
源泉槽のぬる湯がよかった。
サウナ→水風呂→源泉槽を繰り返しているうちに、どんどん肌がツルツルしてきて、だんだん辰野が好きになってきた。
ひぐらしの鳴く帰り道。
人間の声が聞こえてこないのは素晴らしいこと。
実際には帰れることをわかっていながら、「今日中に府中に帰れるのか?」と、自由意志で心細くなってみる。
寂しい伊那新町駅に、時刻通り普通電車が入ってきてくれたから、これに乗って帰らなければならない。
なにせ今日の俺は、立川ミナミへ向かったまんま、音信不通の一日を過ごしてしまったのだから。
以上