宗教閥の思い出

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34歳まで働いていた前職の親会社には、宗教閥があった。

これが◯◯教会だったら、いまさらながらタイムリーだったんだけど、しかしそうではなかったんだけど。

 

当時の俺は、子会社の中でも下っ端の存在だったので、淡々と仕事を進めていても、もともと冷たく扱われる立場だった。

それにしても親会社の、目に光がなくて話し出すとなにを言っても譲らない人たちは異様だった。

 

子会社はとかく親会社の人事が気になるものだ。

現場のヒラ同士で、親会社にしては珍しく人間らしいコミュニケーションがとれると評判だった人が、突然出世しだして3年で管理職の上のほうまで上り詰めたことがあった。

こんな現象は時々あって、これを子会社の我々は「拾い上げられた」と表していた。

傍目にも仕事の能力とはまったく無関係で、おそらくは入信したか、もともと信者で宗教団体内のステータスが上がるなにかがあったか、まとまったお布施をしたのだろうという噂だった。

お布施というのはずっと続けるものらしいから、出世させて給料を上げてお布施の額を上げさせれば、そこには「マネーロンダリング」なる言葉が浮かぶ。

今、話題になっている政治だけじゃない。

日本の宗教はこうして企業が支えているのだと知った。

 

結局、能力不問の宗教力で出世した人たちは、だいたいが仕事に行き詰まっていた。

そもそも器でない人に、部下を率いて物事を進捗することなどできないのだ。

本来ここは「信じているだけでは救われない」世界なのだから。

3段落目に書いた「現場のヒラ同士で、珍しく人間らしいコミュニケーションがとれると評判だった人」は、結局鬱になって、表情と言葉を失ってしまった。

が、居るだけでいい場所を用意されて、職場には残った。

それを見た俺は「カルトは冷たいんだか案外と懐が深いんだかよくわかんねえな」と思っていた(あ、カルトって書いちゃった)。

今思えば、継続的にお布施をさせていくために、給料を出していたのかとも思う。

労働とは、雇用とは、人生とは、いったいなんなんだろうね。

 

「子会社からも優秀な人間はスカウトされる」なんて話もあったが、俺にはまったくもってそんな声はかからず、拾い上げられることはなかった。

まあ、不出来にもメリットはあったということだ。

 

以上