元首相が死んだ

安倍晋三元首相が銃撃されたことについて、自民党河野太郎広報本部長(衆院神奈川15区)は8日、「(襲撃が)本当ならテロと言わなければいけない。意見に違いがあったとしても、暴力で相手の言論を封じることは、民主主義で最も卑怯(ひきょう)なやり方で、最も許してはならないことだ」と述べた。

カナロコ

元首相が死んだ。

撃たれて死んだ。

 

痛ましいけど不思議ではなかった。

いつかそんなことが起こるのでは、という予感はあった。

予感はあっても、実際にそんなことは起こらないのが日本だと決めつけていた。

しかしそんな調子で凌いでこられたのは、7月8日の昼までだった。

 

氷河期世代、「世の中に言いたいことがあるならデモでもやってみろ」と煽られた時代があった。

実際にデモが起こると、「デモくらいで世の中は変わらない」と嘲笑された。

デモで駄目ならテロがあるだろ。

実践するのは真っ当ではないけれど、これだけの人間がいるのなら、実践してしまう者も現れる。

なにせ世の中にはたくさんの人間がいるのだ。

これまで俺に「お前の代わりはいくらでもいる」と言った者の数と回数が、それを証明している。

俺は仕事の休憩時間に安倍晋三さんが撃たれたことを知って、ツイッターのトレンドに「弔い合戦」が入っているのを見て、もうこれ以上働く必要なんかないんじゃないかと思った。

 

これからは、なんというか、直接手を下してしまう時代になるのかもしれない。

例えばインターネットでは誹謗中傷、侮辱罪、開示請求なんていっているけれど、もう段取りを踏む手続きと時間と自分がこらえきれなくて、相手を探して直接突っ込む事件が増える予感がある。

自分自身、子を持つ親である俺と、精神疾患サラブレッドである俺(親を反面教師にして工夫を重ねてギリギリ保っているつもりだけど、周りにはどう見えているか)を、両立して生きる限界はまもなくやってくると思っている。